尾形昌夫

2015年7月31日 (金)

大相撲の三賞と今後の課題 (庄内日報 7月22日)

大相撲の三賞と今後の課題 尾形昌夫

2013年春、栃乃洋の現役引退・年寄竹縄襲名披露大相撲が国技館で行われたときである。2時間を越える断髪式のとき議事進行を担当する行司が、「(栃乃洋の)最高位は東関脇、殊勲賞3回、敢闘賞2回、技能賞1回を受賞、金星(平幕力士が横綱に勝った星)は12個」と、十数回にわたって場内放送をして力士時代の栃乃洋の功績を讃えた。

 

このように三賞の受賞は力士にとって大きな勲章である。ところが最近、三賞受賞の数が減り始めている。例を挙げると技能賞は昨年の1月から今年の5月の9場所うち、昨年9月場所の安美錦の1回のみで、他の8場所は「該当者ナシ」であった。また、今年(2015)1、3、5月場所の3場所で三賞に名を連ねたのは照ノ富士(1月敢闘、3月殊勲、敢闘、5月敢闘)ただ一人という三賞制度が発足して初めての珍事が起こった。

 

三賞の受賞力士を選考するのは三賞選考委員会(審判委員、相撲記者クラブ員、維持員など20数名で構成)は本場所千秋楽に開催されるが、これまではその討議内容はあきらかにされなかった。

ところが5月場所の選考結果が敢闘賞照ノ富士のみという意外な決定のためか、相撲協会の機関誌である『相撲』は6月号で“残念三賞、”7月号で“「三賞」を考える”と選考委員会の論議の内容と批判記事を掲載した。

 

私は『相撲』7月号の記事を読んで驚いた。伊勢ケ浜審判部長(元横綱旭富士)が、大関候補で注目の照ノ富士と横綱日馬富士を倒した殊勲賞候補の佐田の海を、「不戦勝があるので、三賞はどうか」、敢闘賞候補の魁聖については「(11日目まで10勝1敗で優勝候補の一人であったが)12日目から黒星が続いている」と疑義をはさんだことだ。不戦勝を勝ち星と認めないのなら、大砂嵐休場により不戦勝のある白鵬と照ノ富士が千秋楽にあい星になった場合は照ノ富士の優勝にするのか。前例によれば、不戦勝は問題のない勝ち星で佐田の海の殊勲賞、11日目まで優勝争いに並んでいた魁聖の敢闘賞は当然の受賞であった。

 

かつては三賞の他につぎのような表彰があった。

まずは雷電賞である。この賞は1955年から65年までの10年間、関脇以下で幕内最多勝の力士に与えられたもので雑誌「大相撲」の発行と尾崎士郎の小説雷電が「週間読売」に登場したのを記念として読売新聞社によって制定されたものである。

ある時、安念さん(元立浪親方、四股名は安念山から羽黒山に改名)が雷電賞受賞者一覧表を私にみせて「最高4回の受賞は時津山、豊山(のちの時津風親方)と私の三人」と誇らしげに語ったことがあった。幕内最高優勝1、殊勲賞3、敢闘賞1回の実績がある安念山でも雷電賞の受賞は嬉しかったようであった。

 

次にこれまでにあった特別表彰を紹介する。

 1954年5月場所、名寄岩「精魂を土俵に傾け、永年に亘り力士の本分を尽くし・・・」という異例の表彰。

1962年11月場所大晃、67年11月青ノ里、68年1月明歩谷、ともに連続一千回出場。

1991年5月場所、大寿山、巨砲、ともに連続幕内在位10年以上、

などである。

千秋楽の表彰式は幕内最高優勝、三賞、各段優勝力士がある。幕内最高優勝には内閣総理大臣賞をはじめ、モンゴル国はじめ8カ国から総理大臣賞など、東京都知事はじめ6県知事賞、NHK杯など多彩な賞が贈られるという一点集中主義の表彰方式といってよい。

 

私は次の3点を提案したい。

1 かつては横綱を倒さない場合でも好成績の大関を破った力士には殊勲賞を与える例が数多くあったが、それを復活する。また技能賞は「手取り力士」のみならず、優れた「押し・四つ相撲」をも対象にする。

2 雷電賞をはじめ相撲協会が20数年前まで実施していた各種表彰を参考にして、長年に亘って活躍した力士たちの功に報いる。

3 2011年7月場所5日目に魁皇が旭天鵬を破って1046勝し千代の富士の持つ通算最多勝を上回ったが、このような大記録のときは表彰する。

 

2015年7月30日 (木)

白鵬の親方問題と日本国籍 (庄内日報7月14日)

白鵬の親方問題と日本国籍

尾形昌夫

私は白鵬の大ファンである。新弟子時代から宮城野部屋で稽古をみて彼の成長を楽しみにしていたからだ。その白鵬が2007年7月に横綱に昇進し大横綱になった。横綱白鵬の輝かしい成績をみてみよう。

本年5月場所まで横綱在位47場所、休場がないのが立派だ。632勝73敗、勝率89・06%は双葉山の88・21%(180勝24敗)を抜く。2010年には双葉山の69連勝には及ばなかったが63連勝を記録し、前年に引き続き年間勝ち星86勝(2位は2005年、朝青龍の84勝)と日本相撲史上画期的な成績をあげた。

 

白鵬が横綱になって間もなく起こった時津風部屋新弟子死亡事件を初めとし、大麻所持、野球賭博事件など相撲界には不祥事件が相次いでおこり、2011年2月に八百長が発覚という大事件に見舞われ、日本相撲協会は危機に当面した。この時期、横綱朝青龍は2010年1月場所中に暴行事件が発覚、引退したので白鵬が一人横綱として土俵を守った。

 白鵬が今年(2015)一月場所で大鵬の記録を更新する33回目の最多優勝を全勝で飾った頃から、白鵬の親方株の取得問題がメデイアを賑わすようになった。

 

親方株の国籍については日本相撲協会の新公益財団法人の定款にはとくに規定はないが、北の湖理事長は旧定款にあった「年寄名跡の襲名は、日本国籍を有する者に限る」を守ることを明言し、一代年寄も白鵬が日本国籍を取得しない限り認められないと言っているらしい。一代年寄とは北の湖、貴乃花親方のように(千代の富士は協会よりの提案を断り九重を継いだ)相撲協会へ貢献度が高い力士に一代限り力士名のままの親方を認めるというのである。

 

白鵬はここ1,2年の間、数人の新弟子を内弟子として宮城野部屋に入門させていると噂を聞くが、引退後、白鵬が親方になって弟子を育てたいという希望をもっていることはよく知られている。その白鵬が日本国籍を取得すれば問題ないが、それをためらっているのはモンゴルの国民的英雄である父ムフバトさん(モンゴル相撲で6回優勝、メキシコ五輪のレスリングで、銀メダルを獲得)の反対によるという報道がある(2015年3月20日、毎日新聞)。もしこれが真実であるとすれば残念なことだ。

 

白鵬が日本国籍を取れないというのであれば、北の湖理事長は白鵬に一代年寄の資格を認めることを提案したい。

白鵬の土俵上での日本相撲協会への寄与のみならず、率先して東日本大震災被害地域への慰問巡業を計画するなど白鵬の被災地への貢献が多大なものがあるからだ。

 

2013年4月 7日 (日)

わが愛する新入幕大岩戸 (庄内日報の記事を引用)

わが愛する新入幕大岩戸

 

 今年(平成25年)の3月場所で新入幕を果たした大岩戸は5勝910敗の成績で、十両から再出発をすることになった。新入幕の力士にとって幕内の壁は厚く、平成の大横綱といわれる貴乃花は4勝 11敗、直近では初土俵から9場所で入幕という最速記録(幕下付け出しを除く)を作った常幸龍も6勝9敗の成績で十両に落ちたことからしても、大岩戸の1場所での十両陥落もさして悲観することではない。

ところで3月場所の新番付発表の翌2月26日の新聞は、31歳9カ月の新入幕大岩戸を「30代に春来る」「遅咲きの春」と報じた。事実、大岩戸の新入幕は戦後8位の高齢昇進であり、新十両から所要46場所の入幕は戦後2位タイのスロウ出世であった。

このように大岩戸の幕内昇進の記録が特記されるほど遅れた主な理由の一つは彼の相次ぐ疾病と怪我もあったが、更には得意とする押し相撲に際立った威力が出るのに相当な日時を要したためでもあった。

 

平成15年全日本学生選手権個人戦を制覇した上林(実家の姓。後述するように平成23年9月場所に改名するまでのシコ名)は、翌16年3月場所に幕下15枚目格付け出しで初土俵を踏み、翌17年5月場所に十両に昇進した。平成18年の年賀状の添え書きに「今年は幕内を狙います」と張り切っていたのに、十両5場所目の18年1月場所は左足蜂窩織炎のため4勝11敗と大敗し幕下に陥落した。更には19年9月場所(東幕下13枚目)で左頭部に帯状疱疹が発生し高熱のため途中休場(1勝1敗4休)となり、11月場所の番付は幕下34枚目という入門以来の最下位で彼にとって最も苦難の時であった。この場所11日目に4勝し勝ち越しを決めた日に「やっと勝ち越しました」という彼のほっとした電話の声を聞いた。その後平成20年、21年と幕下の中・上位に低迷していたが、22年5月場所に3年半振りに3回目の十両復帰を果たした。しかし2場所で幕下に陥落してしまった。

平成23年2月初めに八百長問題が発覚して3月の大阪場所は興行中止となったが、上林は3月11日(東日本大震災の日)に左肘軟骨除去の手術をした。彼は24年9月場所(東十両6枚目)後に右肘で同じ手術を受けたが、手術前の本場所では土俵上で力水をつける軽い柄杓を持てないほどの痛みであったと言っていた。このように重症を抱える身体でありながら力士たちは土俵上で激しくぶっつかり合うわけである。

 

上林が十両に初昇進した平成17年頃、28代木村庄之助こと後藤悟さんと私の3人で会食の機会を持ったが、「人間としての上林は立派な男だ。しかし押し相撲の力士である彼が十両に定着し幕の内を望むには立ち合いに相手を土俵の外に一っ気に持って行く馬力が欲しい」というのが後藤さんの上林評であり私も同感であった。上林が番付を上げることが出来なかったのは病気や怪我もあったが、彼が身上とする押しに今一つ威力がなかったからでもあった。

平成23年5月場所、上林は西幕下2枚目で4勝3敗と一点の勝ち越しであったが、八百長疑惑で25人が解雇されたため7月場所には西十両8枚目と番付は大幅に上がった。ところが場所が始まるや左足の傷から黴菌が入り蜂窩織炎を発症して、高熱に苦しみながら土俵に上がる状態で3勝12敗の惨敗の成績に終りまたもや幕下に舞い戻った。

しかしこの病気療養後に体重も140キロ台に増え押しの威力も増してきた。心機一転、シコ名を大岩戸と改名(名付け親は九州で書道の先生をしておられる山岸蒼龍氏)した9月場所(西幕下筆頭)で5勝2敗の成績で5回目の十両復帰であった。この場所以来、平成25年1月場所で9勝6敗の成績を上げて入幕を果たすまで、新生大岩戸の見事な押し相撲が何番かあった。私はその中のベスト3番として平成24年3月場所の千代大龍(今場所横綱日馬富士を破った)同年7月場所の常幸龍、25年1月場所の旭秀鵬を挙げたが、大岩戸もこの3番は「(自分にとっても)快心の相撲であった」と言っていた。大岩戸の押し相撲に敗れたこの3力士は将来の角界を背負うことを期待されている力士達である。

今場所(3月)5日目のNHKTV相撲解説で大岩戸の師匠八角親方(元横綱北勝海)は「大岩戸はこれ迄おっかなびっくり相撲を取っていたが、最近は押しに威力が出できた。入幕出来たのもそのためだ。また良く稽古をする、出稽古(他の部屋に稽古にゆく)にも積極的だ」と、弟子には辛口批評の親方が珍しく弟子のことを褒めていた。

大岩戸は、後藤悟さんが言っておられたように社会人としても通用する立派な人物で指導力もある。平成22年7月6日、「28代木村庄之助を偲ぶ会」が東京第一ホテル鶴岡で開催されたとき、私が大岩戸の父上の上林哲弥さんに「上林君のような人材を日本相撲協会に残したいものだ」と言ったところ、側にいた水野尚文(元グラフNHK大相撲特集編集長)さんは、すかさず「相撲協会に残るには番付を上げることが大事だ」と付言した。

相撲界は力の社会であり、引退して協会の役職についても現役時代の番付がものをいう社会である。しかし相撲界の相次ぐ不祥事や協会の新公益財団法人への迷走ぶりをみても分かるように、いかにも人材不足である。大岩戸に1場所でも早く幕内に返り咲き、ますます押し相撲に磨きをかけて長く現役で活躍することを期待したいものである。  尾形昌夫

 

無念なり  北勝国引退 (庄内日報の記事を引用)

 

無念なり  北勝国引退

将来を嘱望されていた北勝国が度重なる怪我には勝てず、この1月場所限りで引退して2月2日に両国国技館で引退断髪式を行うことになった。まさに志半ばで土俵を去る彼の無念を想うと切なるものがある。

北勝国が17歳で最少年幕下昇進と評判になった平成15年の5月場所前、八角部屋で朝稽古を見たあと私は、「林君ちょっと」と北勝国(本名・林)を呼んで、「私は加茂の生まれで南校の出身だ」と自己紹介したところ、彼は「中学(鶴岡4中)を卒業したときに私は加茂水産高校に誘われたが、八角部屋入門が決まっていたので断わりました。尾形さんは南校とは秀才ですね」と、にっこり笑った。南校出身で秀才と言われ私びっくりしたが、彼のハキハキした応対には好感をもった。

28代木村庄之助こと後藤さんに、北勝国を「押し相撲で明るい性格、久方ぶりに有望な力士が鶴岡からきましたよ」と話したところ、後藤さんは早速、荘内日報5場所評に「北勝国は相撲の質(たち)がよいから、これからが楽しみだと加茂出身の尾形昌夫氏が言っていた」と書き、在京荘内出身者による北勝国激励会に毎回参加してくれようになった。

今を時めく横綱白鵬が北勝国と同じ平成13年3月に初土俵、昨年11月場所に新横綱に昇進した日馬富士は同年1月場所入門と、当時はモンゴル有望力士の多産の時期であった。しかし相撲協会や心ある相撲ファンがもっとも待望していたのは、北勝国のような中学出力士の成長であった。平成14,5年頃、とくに注目されていた中学出の力士は、北勝国の他に、彼よりも2年前入門の鈴川(若麒麟、最高位前頭9枚目、大麻所持で検挙されて解雇)、1年前の再田(現・幕下若之島)1年後の萩原(現・大関稀勢の里)などで、各年入門の有望力士が選ばれたのか、この4力士が巡業中に親方衆の指名で、山稽古(土俵ではなく地面に適当に丸をかいて稽古をする)に励んだことが相撲雑誌で報じられたこともあった。

ところで北勝国は、平成16年11月場所後の風冨山(現・幕下)との稽古中に右手首舟骨骨折という不運に見舞われた。両国の同愛病院での診断では手術による全治は不能という大怪我で、折れた骨をつなぐボルトを埋める処置が取られた。この怪我により、それまでの頭で当たって一気に押す相撲から右差しからカイナを返して前に出る、また立ち合いからモロ差し狙いの相撲に変わった。とくに彼の立ち合い一瞬のモロ差しは天性のもので、昭和20年代後半から30年代のモロ差しの名手といわれた信夫山、鶴ヶ嶺(両力士とも最高位関脇)にも劣らぬものと褒めたものであった。

北勝国は平成203月、待望の十両昇進を果たした。右手首骨折という痼疾があったが、柔軟な足腰に恵まれ動きも早く、そのうえ馬力もあり、ものにこだわらない力士向きの闊達な性格から、将来は幕内上位に昇進して三役を狙える逸材と評価する声も上がってきた。

ところが初十両の場所に69敗と負け越し幕下に陥落したが、これから彼の苦難の道は始まったのである。彼は私に次のように語った。

「一場所でも早く十両に復帰したい一念で稽古に励んだのですが、無理をしたためか右手首の古傷が悪化して稽古もできなくなり、親方と相談してスポーツ医学では日本の最高権威である聖マリアンナ医科大(川崎市宮前区)の別府諸兄教授の手術を受けることになりました。第一回目の手術は平成21年の5月、同医科大の登戸多摩病院で全身麻酔を要する8時間にもの大手術であった。第二回目の手術は22年1月で前腕部の靭帯を手首に移植しました」

この手術のため平成215月場所から227月場所まで連続8場所休場して番付外に転落し、北勝国は前相撲からの再出発となった。十両以上の関取経験者が前相撲を取るのは昭和以降初として話題になったのだが、序の口から三段目まで全勝で通過し幕下9枚目で52敗の好成績で、3年半20場所ぶりに十両復活を果たした。そして再十両の5場所目の245月場所に105敗の成績で、幕内を狙える自己最高位の東十両6枚目に昇進した。ところが同年7月場所の8日目に身長181センチ、体重191キロの巨漢力士天鎧鵬の土俵際の上手投げに両力士が正面土俵下に重なり合って落ち、彼は土俵生活を断念せざるを得ない重症を負った。相撲協会の正式発表による傷病名は「右膝外側側副靭帯損傷、右脛骨剥離骨折、右膝前十字靭帯断絶」であった。

 

北勝国に力士生活でもっとも印象に残る一番は?と聞いたところ彼は、「24年5月場所の13日目、幕内経験のある旭秀鵬を白房下に豪快に押し倒して勝ち越しの8勝目をあげた相撲」と答えた。この場所は14日目、千秋楽と連勝して10勝目をあげ、彼の最高位である十両東6枚目に昇進したのであった。

北勝国の土俵人生は11年(平成13年~24年)で、平成22年11月場所序の口、235月場所三段目で全勝優勝、十両在位通算7場所、最高位は東十両6枚目であったが、まだ大きく将来が期待された惜しい逸材であった。

 

尾形昌夫  平成251

2012年9月 1日 (土)

日本相撲協会の新公益財団法人移行は認可されるか。(尾形昌夫)

日本相撲協会の新公益財団法人移行は認可されるか。

問①            新公益財団法人認可の最大のハードルは?

 年寄名跡問題だ。相撲協会は平成23年12月27日に文科省に答申した『改革のための工程表』に、「(年寄名跡については)金銭授受の禁止、名跡の協会管理、年寄選考委員会を設けるなどの名跡取得プロセスの改善、現年寄に対する功労金の支給」などの案を盛り込んだ。

ところが、6月19日の評議員会では、平成23年度決算が約50億円赤字だったことなどを理由に功労金を給付しないことに方針を転換し、金銭授受による名跡譲渡が判明した場合は罰則を科することになったが、実態は功労金の代わりに親方が従来通りに後継者の指名権を保持できることになったようである。

19日の評議員会の後、ある親方が「後継者の指名権は認められた。今までと変わらないよ」と、ほくそ笑んでいたという記事(6月20日、毎日新聞)が気になる。

問②            公益財団法人が認可されない場合、国技館の土地、建物他内部留保金など協会財産を取り上げられるのか、また天皇賜杯は?

答 一般財団法人を選択することになる。この場合は、税制等の優遇があった財団法人時代に取得した国技館の土地建物や預貯金などの財産を公益目的の事業(例えば中学校の武道の必修科目の一つになった相撲の普及)に使え切らなければならことになっている。(一般財団法人整備法119条)国技館等の財産を即刻手放す必要はないが、公益目的支出計画に沿ってその資産がゼロになるまでは統括行政庁の監督下におかれることになる。(同123条)

天皇賜杯には、大正14年、相撲協会がスポーツ団体として異例の財団法人設立の認可を得たのは、一民間団体に天皇賜杯授与を認めることは出来ないということから、無理をして財団法人に認可した経緯がある。ある協会幹部は、公益財団法人の認可を取得出来なかったときは、「天皇賜杯は返還せざるを得ない」と語っている。(平成23年2月8日、読売新聞)

問③            結局は親方株問題と思いますが、今後の見通しは?

年寄選考員会、罰則規定などの内容にもよるが、公益財団法人認可の道が開けてきたのではないかと思う。

相撲協会を背負って立つ親方を選定する年寄選考委員会が重要だ。親方のみで構成する理事会(理事会が名跡取得を認可しなかったのは、八百長の中盆で悪名高かった元小結板井のみ)でなく、外部委員も参加する厳格公正な委員会にすることが必要だろう。

罰則規定を厳重に実施することだ。昭和47年1月に文部省(現文科省)の指示により相撲協会は寄付行為に「故意による無気力相撲に対する罰則規定」を制定したが、平成23年2月の八百長発覚まで一度も適用されなかった。現行の寄付行為規定では名跡を「譲渡・担保・相続」の対象にすることを禁じられているのに、高額の金銭で売買されていたのは周知の事実である。

新公益法人の所轄官庁は内閣府になる。年寄株売買を黙認してきた文科省のように甘くないはずだ。

2012年7月5日  尾形昌夫

2012年3月10日 (土)

北の湖理事長復帰、憂慮される相撲協会の前途 (庄内日報の記事を引用)

2012年2月

北の湖理事長復帰、

      憂慮される相撲協会の前途

尾形昌夫

日本相撲協会の理事長に北の湖理事長が再任されたニュースに驚いた。民間企業ならまだしも、財団法人でもトップに返り咲くこともあるのかと思った・

ましてや、北の湖は力士暴行事件や自分の弟子も逮捕された大麻事件などの責任をとって2008年に理事長を辞任した。昨年の八百長問題でも弟子の関与が認定されたため理事から外されたばかりである。放駒前理事長の体制になって、それらの問題がようやく一段落したと思ったらこの復活劇である。こんなことで大相撲は大丈夫なのだろうか。

以上の一文は『朝日新聞』(2012年2月9日)投書欄の「北の湖理事長復活、大丈夫か」(74歳の男性)からの引用(後段は略するが定年になる放駒理事長の続投を希望している)であるが、私も北の湖理事長の再登場にはこの投書と同じ危惧をもっている。それは一言でいえば北の湖は理事長時代(2002年2月~08年9月)に起こった数々の不祥事への対処をみても、理事長としての見識がなく統治能力に欠けていたと思うからである。

 

 華々しく登場も見るべき改革なし

北の湖が理事長に就任した今から10年前の02年当時は、若貴ブームが終わりをつげて数年後であるが、相撲人気は回復せず先任者の時津風理事長(元大関豊山)が新年会で大相撲の危機を訴えるなど、相撲界は沈滞の時代であった。このような時機の02年2月、相撲協会のプリンスといわれた48歳の若き北の湖新理事長が期待を一身に集め華々しく登場したのであった。

しかし新理事長は、「小中学生の目を相撲に向けさせたい」を人気回復への対策に挙げたが、見るべき施策はなかった。日本相撲協会が発行する『相撲手帳』(2012年版)の「大相撲略史年表」の北の湖理事長時代の記録には、海外巡業の他に「公傷制度の廃止」と「地方巡業制度を自主興行から勧進元への売り興行に変更」の二つしかない。しかし、これらの措置はかつての制度に戻しただけで改革というほどのものではない。北の湖理事長は前向きの改革は何もやっていないということである。

私が何よりも失望したのは、歴代の理事長が定期的にやっていた立ち合いの研修会を、北の湖理事長は一度も開催しないことであった。時に一人横綱として君臨していた朝青龍の手をしっかり下ろさないフライミング気味な立ち合いが新聞で取り上げられ、立ち合いの正常化のため研修会を開催すべきという相撲メディアからの要望にも、北の湖理事長は応じる気配もなかった。

北の湖理事長の1期目(02年2月~04年2月)の実績をみて、この理事長は「相撲協会の希望の星」どころか、無為無策であることが分かってきた。伝え聞くところによると、北の湖理事長は2,3人のイエスマンを側近とする“裸の王様”であるとのことであった。

「朝青龍問題」に説明も謝罪もなし

この北の湖理事長が2007年、8年に続発した不祥事にはどう対処したか検証しよう。

まずは朝青龍の“仮病疑惑事件”である。07年7月に負傷を理由に地方巡業を休んだ朝青龍がモンゴルでサッカーに出場した事件で、彼は2場所出場停止・減俸・4ケ月謹慎の処分を受けた。この朝青龍の処分発表の記者会見には武蔵川事業部長(元横綱三重ノ海)、伊勢ノ海理事(元関脇藤ノ川)が担当して理事長は出席しなかった。その後、朝青龍は「解離性障害」という一種の神経症と診断され、治療のためにモンゴルに帰国したが、この間の数次に及ぶ記者会見に北の湖理事長は一度も姿をみせることはなかった。しびれを切らした東京相撲記者クラブが理事長に記者会見を求めたが拒否されたという(07年9月24日、『朝日新聞』)。さらには9月場所初日の十両取組中の恒例の協会挨拶もこれまで通りの紋切り型で、朝青龍問題については説明も謝罪も一切なかった。

朝青龍問題につての理事長の見解は、この問題はあくまで師匠である高砂親方(元大関朝潮)の責任であり親方が解決すべきで、理事長が関与すべきことではなく、また責任もないので記者会見に応ずる必要もない、ましてや本場所初日の協会代表挨拶で「お詫び」などは必要がないということであった。高砂親方が朝青龍に対する管理能力がないことは天下周知のことであるのに、このような理事長の態度に相撲に理解のある知識人から批判の声があがったのは当然のことであった。そのうちの代表的な見解を二つ紹介するが、この二者の意見に私は全面的に賛成である。

理事長の態度に知識人批判の声

朝青龍は大相撲の頂点に立つ力士だ。相撲協会(会社)にとっていわば最高の「商品」なのである。その「商品」に「欠陥」がでたのだから、相撲協会としてはトップ(社長)が大相撲ファン(消費者)に対し頭を下げて謝罪するのが筋ではなかろうか。朝青龍の不祥事は、すなわち協会の不祥事である。その認識が相撲協会(北の湖理事長)に欠けているように思える。(NHK『大相撲中継』07年9月場所展望、元NHKアナウンサー緒方喜治)

少なからぬ関係者が北の湖理事長を擁護している。相撲協会を商店街になぞらえ、部屋は商店と同じで独立性が強い。だからまとめ役の理事長の責任も商店街の組合長と同じ程度。そんな理屈だった。これが両国の常識ならおかしな話だ。

相撲協会は文科省が管轄する財団法人だ。そのルールである「寄付行為」には「理事長は事務を総理し、この法人を代表する」とある。最終の管理責任が誰にあるか自明な話だ。(07年10月11日『朝日新聞』、元日銀政策委員会審議員委員中原伸之氏)

 

新弟子死亡事件も「部屋個別の問題」

07年6月に発生した時津風部屋の新弟子死亡事件が同年9月末になってメディアで報じられるようになったのは、師匠と兄弟子による傷害致死の疑いがあると警察が動き出からであった。しかし北の湖理事長はこの問題は朝青龍問題と同様「時津風部屋個別の問題」とし、「協会としては独自調査をしない」と述べた。このような相撲協会の対応に驚いた文科省は協会に早期解決を求めた結果、協会はあわてて当事者の事情聴取を始め、時津風親方と兄弟子の3力士の解雇を決めた。それでも「協会の信用、名誉を失墜した」ことを処分の理由とした。

  取材証没収の愚挙

 次は北の湖理事長による元NHKアナウンサー杉山邦博氏の「取材証」没収事件である。

07年9月11日の各紙は、9月場所2日目の9月10日に北の湖理事長が元NHKアナウンサーの杉山邦博氏から本場所取材のために発行している「取材証」を没収したと報じた。北の湖理事長はその理由について、8月13日のTBSの番組で「協会が朝青龍の処分を決めるのには弁護士など外部の人間を入れた方がよかった」とする他の出演者のコメントに杉山氏がうなずいた態度を「協会批判」とし、「『相撲評論家』としてテレビに出ていた。評論家なら取材証はいらない」を、没収の理由に挙げた。

杉山氏は40年以上にわたりNHKの相撲実況を担当した人気のアナウンサーで、相撲協会に対し多大の貢献したことはよく知られていることである。この事件を理事長の取材拒否とメディアは批判して、東京相撲記者クラブが北の湖理事長に強く抗議し、ただちに処分撤回を求めた結果、理事長は杉山氏に取材証を返却した。この取材証没収は全く愚かな措置であった。理事長の暴挙を諌める側近はいなかったのだろうか。

弟子の大麻事件 見識の低さ露呈

最後に、北の湖理事長の引責辞任を招いた弟子の十両白露山の大麻陽性反応事件である。

08年9月場所前日の9月2日、力士会のあと十両、幕内の関取衆を対象に抜き打ち尿検査が行われ、露鵬(大嶽部屋)、白露山(北の湖部屋)のロシヤ出身兄弟力士から、大麻成分の陽性反応が出たことが、検査を実施した相撲協会アンチドービング委員の慶応大学・大西祥平教授が明らかにした。

この日は簡易検査だったため2力士の要求を入れ、精密検査を行ったが2力士とも陽性反応が検出された。これに対し北の湖理事長は「本人(白露山)は吸っていないと言っている。本人の言葉を尊重したい。親(師匠)は子(弟子)を信ずるものだ。精密検査で陽性反応が出たらそれで終わりでない。何度でも受ければよい」と主張し、9月場所の出場も問題なしとした。しかし大西教授は「検査は正確に行われた。2力士の尿検体から検出された大麻の量は本人が吸ったと判断される」と言明した。ドービング検査では日本最高の権威のある大西教授の検査よりも、北の湖理事長は弟子の主張の方を信じたのであろうか。

9月6日のNHKのニュース速報で、精密検査の結果2力士とも陽性であったことが明らかになったことを受けて開催された臨時年寄総会で、北の湖理事長は再度の検査を要求したが受け入れられず、9月8日の緊急理事会で露鵬、白露山の2力士の解雇、北の湖理事長の辞任、大嶽親方(元関脇貴闘力)は委員から平年寄への2階級降格処分が決まった。

この経緯をみても分かるように、北の湖理事長のドービング検査に対する知識の低さが騒動を大きくした。大西教授が世界基準の手法で公明正大かつ厳格に行った検査であることを理解していなかったのである。

『読売新聞』の「編集手帳」(08年9月7日)は、北の湖理事長が辞任する前日に次のようにコメントした。

実力を超え番付が上がり、手ごわい相手との取り組みが続き黒星を重ねる。相撲用語で「家賃が高い」という。日本相撲協会の北の湖にとって、理事長職は家賃が高すぎたかも知れない。大麻事件の騒動を通して分かったことが一つある。北の湖理事長に備わる見識の分量である。(中略)理事長職に見合う見識、常識を、いまから養うのはむずかししかろう。ひとりの親方に戻り、家賃の払えるところに引っ越すのもいい。

 

八百長発覚で理事長職を辞任

北の湖理事長の後任に武蔵川(元横綱三重ノ海)事業部長が就任した。新理事長は9月場所初日恒例の挨拶は、相次ぐ不祥事に対する謝罪と再発防止に向けた決意表明であった。観客席から「三重ノ海、がんばれ」の大声援が飛び交った。そして、「立ち合いでは両手を土俵につくことの徹底」を審判部に申し入れるなど、脱北の湖路線を明確にした。

しかし武蔵川理事長時代にも不祥事が相次いで起こった。2010年1月に横綱朝青龍は泥酔暴行事件で引退を余儀なくされた。5月には維持員席での暴力団観戦問題で木瀬部屋を無期限閉鎖、また引き続き野球賭博事件が発覚し、大嶽親方、大関琴光喜が解雇され、力士、親方の大量謹慎処分になった。武蔵川理事長も弟子の幕内雅山が賭博問題に関与したこともあり事実上退陣となり、村山弘義外部理事が理事長代行に就任した。

同年8月、放駒理事(元大関魁傑)が理事長に就任したが、翌11年2月2日に八百長問題が発覚、相撲協会は存続に係る深刻な事態に直面した。協会内に設置された特別調査委員会(座長=伊藤滋・早稲田大学特命教授)よって25人が八百長関与と認定され角界から追放された。北の湖部屋の十両清瀬海もその一人であったため、4月1日に北の湖はついに理事職を辞任した。

外部役員の役割 側近政治の脱皮

第1次北の湖理事長退陣してからここ3年有余、八百長問題初め相撲協会の根幹を揺るがす不祥事件を乗り切り、難問だった公益財団法人の工程表を策定できたのには、武蔵川理事長時代に任命された外部理事の助言が大きかったという。しかし残念なことには主要な役割を担当していた村山弘義副理事長(元東京高検検事長)をはじめ3理事は、今回、北の湖理事長復帰とともに退任した。

北の湖新内閣が任命した外部役員5人のうち海老沢勝二氏(元NHK会長)は、理事長が最も信頼する外部役員と推測するが、北の湖前理事長時代に横綱審議委員会委員長(07年から2年間)の職にあった海老沢氏は、大麻事件の時に「精密検査は何回もやるべきだ」の北の湖理事長の意見にただ一人賛成し、他の横審委員のひんしょくを買ったことがあったことを指摘しておきたい。

相撲協会には将来の行方を決める公益財団法人への移行問題、長年の客の不入りによる財政の悪化対策など重要にして困難な問題が目白押しである。

北の湖理事長には、前理事長時代のような側近政治から広く知見を求める度量のある理事長に脱皮しこの難局に対処することを期待したい。

2011年9月20日 (火)

二十八代木村庄之助の行司人生 尾形昌夫著(羽黒蛇)

二十八代木村庄之助の行司人生 尾形昌夫著(羽黒蛇)

出版されたばかりの相撲書籍を紹介する。

書名:二十八代木村庄之助の行司人生 

著者:尾形昌夫

発行:庄内日報社

価格:1000円

曙に横綱としての心構えを指導したことで有名な木村庄之助の伝記。後藤の親方と呼ばれていた。

双葉山時代に入門し、貴乃花時代に庄之助をつとめた、56年の行司人生。

著者は、後藤の親方、横綱柏戸と同郷、昭和4年生まれの82才。

過去に相撲雑誌等で、発表されていないエピソードが満載で、相撲に興味がある読者には、是非一読いただきたい。

発売場所:国技館1階向正面東寄り、ベースポールマガジン社の販売コーナー

国技館に来ることができない方は、庄内日報社(山形県鶴岡市馬場町8-29 電話:0235-22-1480)に連絡下さい。

羽黒蛇

印象に残った箇所を、要約して引用する。

78ページ

若貴時代の198911月場所11日目から、19795月場所初日にかけて毎日満員御礼だった。19945月場所を評して、木村庄之助は、「幾分活気はみられたものの、総体的には攻防のない相撲が多く低調だった。今の相撲人気はいわば砂上の楼閣のごときもので決って安定したものではない。

79ページ

二子山理事長が、力士、行司、親方衆を集めた緊急集会の模様を後藤さんから聞いたことがある。

二子山理事長が、出席した板井をにらみつけて、「板井!よく聞け」と口火を切り、「八百長問題が国会で取り上げられ協会が財団法人の資格を失うことになったときには、国技館も国に取り上げられる」という危機感を、激しい口調で相撲協会の資格者一同に訴えたとのことであった。

感想と補足;二子山理事長の演説は、今年テレビでも報道された。そして、板井の著書「中盆」にも詳しく記載されている。ただし、

「板井!よく聞け」

と、二子山理事長が、名ざしで、板井を非難したという話は、少なくとも私の知る限り、これまでの相撲報道では出ていない。

この演説を本ブログでは、http://hagurohebi6.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/nhk-efa9.html で取り上げている。理事長の言葉を、再引用する。

Quote

今までの相撲見てみろ

師匠は何とも思わないのか

その勝ちで喜んでいるのか

考えてみたら恐ろしいことですよ 君ら

万が一、これが文部省にとりあげられたら、財産を全部 没収されちゃうんですから

どうして生きていくんだ

そうすると国技でも何でもなくなっちゃう

落ちてしまってからでは、浮かび上がれない

本当に鬼になってやってもらいたい

Unquote

この前に、「板井!よく聞け」があったのだ。

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