相撲に関する書籍

2015年11月 8日 (日)

映画 「名寄岩 涙の敢斗賞」(羽黒蛇)

映画 「名寄岩 涙の敢斗賞」(羽黒蛇)

 

映画名 「名寄岩 涙の敢斗賞」

映画館 神保町シアター

鑑賞日 2015年11月8日(1113日まで上映、但し木曜以外は昼間)

映画封切り日 1956年(昭和31年)6月7日

 

映画の舞台は、昭和251月場所(312敗)と5月場所(96敗、敢闘賞)、断髪式

引退は昭和299月場所。

 

感想:脚本よし。名寄岩の演技よし。俳優ではないので上手くはないが、素人にしてはセリフが棒読みではない。相撲のシーンもしっかり撮影されていた。

 

時代考証的観察

その1:師匠の立浪親方(緑島)役の男優の背が高すぎる。

その2:昭和251月場所千秋楽の支度部屋のシーン。吉葉山・三根山が上位、北ノ洋の顔も映る。昭和25年は吉葉・三根とも上位ではない。映画公開の昭和31年、三根は大関から陥落して下位。吉葉・三根が横綱大関だったのは、昭和29-30年。

その3:支度部屋のシーンは5月場所でも出てくるが、女性を含めファンが出入りしている。今ではマスコミ以外は立ち入り禁止。当時はおおらかな時代だったようだ。しかし、女性が支度部屋にいるのは史実に反するのではないか。回しをつける時に裸になるのだから。

その4:昭和251月場所千秋楽、名寄岩が帰宅。贔屓から頂いたカステラを切る。付け人に分ける時に、「信州」「石狩岩」と声をかける。

番付を調べると、

信州は、昭和245月に大昇に改名。改名した後でも愛称で呼ばれることはあるが、昭和251月の大昇は十両2枚目。大昇は付け人ではなく内弟子としてついてきたと解釈。

石狩岩は昭和333月に引退。最高位幕下8枚目。昭和251月は小坂岩という四股名。映画を撮影した昭和30-31年には石狩岩なので、時代考証より分かりやすさを優先したようだ。

その5:昭和255月場所、95敗の名寄岩は、77敗の備州山と対戦。水が入るも疲れた名寄岩は控えに下がらず土俵中央で待つ(これは史実なのだろうか)、東の備州山が西の控えに下がったのはミス。

その6:土俵に仕切り線がない。観客に西洋人数人。

その7:昭和255月場所、千秋楽敗れるも96敗の名寄岩が敢闘賞を受賞。その日に夫人が死亡(これは史実なのだろうか)先妻の妹と再婚(これは史実である)

その8:断髪式。時津風(双葉山)、力士会代表吉葉山、立浪(羽黒山)

 

名寄岩の初婚相手の女性とは恋愛結婚。その女性は名寄岩のファンだったという。映画には登場しないが、立浪部屋関係者より教えていただいた話。

 

羽黒蛇

名寄岩、補足

補足;大達羽佐ェ門さん調査結果

まず先妻の初枝さんの死去は9月(谷中霊園墓石より。相撲の史跡)なので史実に反します。

 

次に、昭和25年夏場所の手捌きですが、同日のスポーツ報知によれば備州左を覗かせ一気の出足、名寄上手を引き堪える所を備州すくい投げで勝ち、とあり、文面から見る限り水入り相撲とは到底思われません。二日目の神若戦が水入りで名寄がグロッキーだったと記載されており、この相撲をもとにしたと思われます。

 

仕切り線については、どうもこの場所初めは存在せず、途中から中央に一本引かれたようです。しかしながらいつからどのような目的で仕切り線が無くなったのか、また何日目にどうして復活したのかが不明なので、今後の調査対象とします。

 

最後に、名寄岩の後妻が読売大相撲で、先妻(姉)と名寄岩の結婚はお見合いだったと答えています。

2015年8月13日 (木)

名寄岩物語、感想(羽黒蛇)

名寄岩物語、感想(羽黒蛇)

書名:名寄岩物語

見出し:砂つけて男を磨く相撲とり

発行日:2014927

編集・発行:名寄市北国博物館

この本を読んで始めて知った名寄岩のエピソードを中心に要約引用し感想を述べる。

――

2ページ:立浪親方は、緑島の緑と、立浪の浪を合わせた緑浪、有望な弟子が現れたらつけようと考えていた。これを新弟子が断り、自ら、強そうな、名寄岩を申し出た。親方は、

「こいつは驚いた。わしのつけた名を断った弟子なぞ今までいないぞ。」「それにしても、おまえは相当な強情者だな。だが相撲取りには絶対必要なことだ。こいつは出世するぞ」

――

3ページ:怒り金時の名寄岩を「怒らせて、からかおうや」と発案したのは出羽海部屋の大邱山。立合いにならない雰囲気の仕切りで、突然立ち上がって蹲踞(そんきょ)中の名寄岩の肩を押し、名寄岩は土俵下に転がり落ちる。九州山はのろのろ仕切り、立合いで猫だまし。

――

4ページ:昭和81月横綱免許を授けられた直後の玉錦の土俵入り、太刀持ち双葉山、露払い旭川(立浪部屋)

――

昭和131月場所9日目結びの一番は、玉錦と名寄岩(西前頭2)一つ前の相撲が双葉山と両国。両国がうっちゃるが軍配は双葉山。「双葉山の足が大きく土俵を出たため、控えの玉錦が物言いをつけた。とはいえ、両国の死体(しにたい)は明らかで、実に無茶な物言いであった。勝負検査役が協議の結果を玉錦に説明に行くと、興奮して口を尖らせなにやらまくしたてる。それから協議すること実に26分。取り直しでようやく決着がつく。取り直しの一番は、双葉山の勝利であっさりと終えた。」

玉錦への怒りがおさまらない名寄岩。「塩に分かれた玉錦が柱に向かっても、名寄岩は土俵の真ん中で蹲踞のまま睨み続けている。」「時間一杯、だが名寄岩はなかなか立たない。土俵下かた双葉山が名寄岩に立つように促し、ようやく始まった。」玉錦外掛けの勝ち。

羽黒蛇感想:勝負検査役は双葉山の勝ちと玉錦に言ったが、玉錦がごねたので取り直しになったのか? 現在の勝負判定は相撲の流れと体が生きているか死んでいるかより、先についたか・出たかを重視するので、両国の勝ちを判定されるのではないかと思う。個人的には、「両国の死体は明らか」とする昭和初期の勝負判定の基準の方が好きです。

――

5ページ:135月場所は立つ気のない名寄岩の一瞬のすきをついて一方的に玉錦の勝ち。夏巡業の高知で対戦。「郷土の英雄に華を持たせるものと思っていた」玉錦は名寄岩に寄り倒され、尻餅までつかされた。

6ページ:玉錦に限らず、名寄岩のあまりにかたくなな一本気に困り果て、相撲に関して一歩も引かない態度が、力士たちの不評を買うことになった。

秋の大阪の準本場所。玉錦と名寄岩は同体取り直し。二番目、やる気不十分に見える玉錦の仕切り。手を緩めない名寄岩。上手投げで名寄岩の勝ち。12月に玉錦は死んだのでこれが最後の一番。

「宿願かなったり。本場所の一番ではないにしても、横綱玉錦に正攻法で勝った」左四つ、右上手という「自らの相撲に自信を持った」

――

9ページ:新横綱羽黒山の土俵入りに際して、太刀持ちをつとめる名寄岩に、「恥だ、名寄。もう引退しろ」と名寄岩ファンからの悲痛の声が響いた。

10ページ:昭和2011月場所後に大関に復帰した名寄岩。「大関復帰は、明治の西ノ海、大正の千葉ヶ崎、昭和6年の能代潟につづく史上4人目」

――

14ページ:昭和255月場所、西前頭14枚目の名寄岩。名寄岩が勝つと大歓声、負けるとため息とともに静まり返る。相手力士にとっては、「名寄岩と相撲をとっているのではなく、大観衆を相手に戦っているような錯覚に陥った」

15ページ:74敗で迎えた12日目、相手は入幕して2場所目の若ノ花。「この一番には戦後初の懸賞もかけられていた。勝ち名乗りを受けて、水引のかかった懸賞袋」「江戸の勧進相撲の頃に行われていたという手刀を切り」「堂々とした手刀を切る姿は、観衆のみならず、力士たちにも強烈な印象を与えた」

25ページ:一説によると、初めて懸賞金を受ける名寄岩が緊張して手がふるえたのが、手刀を切る姿に見えた。現在のところ最も有力な説は、昭和17年ごろから手刀が始まっている。名寄岩が手刀を広めた源であるが、いつから始まり、どう広まったかは断定できない。

24ページ:時津風理事長が、昭和417月場所から、正式に相撲規則として取り上げた。

羽黒蛇感想:名寄岩にとって戦後初の懸賞なのか、大相撲にとって戦後初の懸賞なのか。戦前は懸賞があったのか。私が知っていた通説「初めて手刀を切ったのが名寄岩で、他の力士もそれにならった」は間違いのようだ。

――

15ページ:95敗の名寄岩、敢闘賞候補で千秋楽を迎えるが、備州山に敗れ、「控えの間でがっくり肩を落とした。と、そこへ師匠の立浪親方が飛んできた。『名寄、選考委員会で、おまえの敢闘賞が通ったぞ』と話した親方の目には涙があふれていた。」「一説によれば、この一番を解説していた天竜三郎の『敗れたとはいえ、名寄岩をおいて、敢闘賞をだれにやるのか』との発言が物をいい、敢闘賞が決定されたという話である。」

羽黒蛇感想:現在の三賞は千秋楽の幕内取組前に決まるが、当時は取組後に決めていたのだどうか。天竜が選考委員ではなく、天竜のラジオ放送を聞いた選考委員が名寄岩の受賞を決めた、と解釈できるが、天竜の放送は千秋楽ではなく、その前の場所中だったと想像する。そうでないと選考委員の耳には入らないから。

――

17ページ:昭和289月場所8日目、日本テレビで流れたコマーシャル。「名寄岩が鳴戸海に快勝した直後、チョコレート・キャラメルの大写しが出て『森永のキャラメルを食べると、今勝った名寄岩のような力が出ます』との宣伝が流れたという(電通月報、195311月号より)

――

18ページ:昭和293月場所、横綱東富士が土俵下に投げられ大怪我で途中休場。土俵外にビニールマットと筵(むしろ)がひかれた。「土俵が柔らかいことで故障者続出」「珍しく仕切り線のない土俵での相撲となるなど、とにかく問題の多い場所だった」

「相撲協会は、この礼に始まり礼に終わる名寄岩の姿が力士の鏡であるとして、特別表彰を与えることに決定した。」賞状の文面は、「貴下の敢闘は後進力士にとって好個の師表であるのみでなく、相撲史上特筆さるべきもの」

――

20ページ:昭和316月、映画「涙の敢闘賞」を見た大関若ノ花は、「落ち目になる名寄岩の子供がいじめられるのがかわいそうだった。お菓子を物差しで計って切ってやるところなんか、そのままだ。映画をみて、みんなが泣いている。相撲社会がよく出ていた。」

――

21ページ:双葉山の太刀持ちをつとめていた頃、10時の門限に遅れた名寄岩が、真冬に日の出まで寒さを紛らわすため四股を踏み続けた。親方は、「おまえの身体はおまえだけのものではないのだぞ」と激怒。

――

22ページ:「春日山部屋にとって、もっと深刻であったのは、弟子の横取りであった、次々と集まる新弟子に各相撲部屋から」言葉巧みに、小遣いまで与えて誘い出した。「例えば、現役時代から弟子入りを約束していた義ノ花は、赤ん坊の時に名寄岩に抱かれ親と固く約束していたが、一言の相談もなく他の部屋に行ってしまった。」「そのほか入門直前で他の部屋に行ってしまった力士は数えれば切りがない」

昭和46126日幕下東筆頭の白法山が4勝目、来場所には春日山部屋に関取が誕生。この日に春日山親方は亡くなる。

――

この本は、東京江戸博物館の図書館で知る。発行元の博物館に照会し買い求めた。発行の経緯として、例言に次の趣旨の記述あり。

 本書は、名寄岩生誕100年記念事業の一環として、名寄岩の生涯の事績について記述したものである。

 文献、雑誌、新聞の記述と、親族を含めた関係者の聞き取りなどを基に記述している。

 原稿は平成16年の名寄岩生誕90年展開催時に成毛哲也(名寄市北国博物館)が展示会資料を集成して執筆したものを基礎とし、今回若干の補足をした。

羽黒蛇

2015年8月12日 (水)

「なぜ、日本人は横綱になれないのか」舞の海秀平著、感想(羽黒蛇)

「なぜ、日本人は横綱になれないのか」舞の海秀平著、感想(羽黒蛇)

書名:なぜ、日本人は横綱になれないのか

著者:舞の海秀平

出版社:ワック株式会社 新書版

2015511

相撲が伝統文化として存続していけるか否かは、相撲をとったこともない素人のファンが「相撲は面白い」と感じて鑑賞してくれるかにかかっている。

相撲協会の人々が理解しているのか、私は疑問に思う。舞の海はこの本質を理解している。その部分を要約して引用する。

179ページ:

引退して解説をしてきたなかで感じたのは、ほとんど相撲を見たことがない素人の方が見ても、勝ち方に違和感があれば「何か変だな」と感じるものです。

素晴らしい勝ち方を見れば、私のように相撲を取ってきた玄人も素人も一緒に感動する。

そういう意味では、お客さんを騙すことなんてできません。

相撲界のなかにいる人や、相撲を取ってきたいわばプロの人が、「素人がこんなこと言いやがって」と上から目線で見下したりすることがありますが、それは愚の骨頂で、

素人ほど自然に感じ取れるところがあると思います。

素人の目はふし穴ではないですよ。

羽黒蛇感想:相撲協会の人たち、相撲メディアは、(玄人の)舞の海ですら、協会を離れた者が何を勝手なことを言っている、と見下しているのではないか、と想像する。いわんや、素人をや。

189ページから:佐田の山親方の改革は周りの反対でつぶされた

191ページ:境川理事長が年寄名跡の協会管理を提案したが、みんなに反対されて全面撤回した件について、

西村氏(床山):理事長は業界外のいろいろな人の意見を聞いて勉強し、相撲界は遅れている、一般社会に通用するオープンな社会にならないといけない、と考えて改革を進めようとしたんです。

舞の海:理事長は改革案をたたき台にして話し合いたかったのです。それにしても、相撲記者の人たちの報道の仕方に失望したようですんね。

羽黒蛇感想:境川理事長の案は1996年に提案され全面撤回。その内容とほぼ同じ案が2014年相撲協会が公益法人に移行する際に採用された。舞の海の「相撲記者に報道に失望した境川理事長」に注目。

私が読んだ昭和32年の国会討議に対する相撲雑誌によると、当時の相撲記者と評論家は「公益法人として相撲協会は何をすべきか、何ができていないか」を理解していた。

しかし約40年後の平成8年(1996年)は「相撲記者が劣化していたと、境川理事長が感じていた」ことを、舞の海が回想している。

88ページ:宮城野親方が、白鵬がどの部屋に出稽古に行くのかを知らなかったという逸話

16ページ:編集協力/荒井敏由紀、と書いてあるからこちらが実質的な著者と理解した。

タイトル;モンゴルはハングリー精神あり、日本人力士はハングリー精神がない、というが舞の海の論調。これもあるが、素質のある日本人アスリートが相撲に入らないのが、日本人横綱が出ない理由だと思う。ライオンズの「おかわり」中村や、他のスポーツで活躍しているトップアスリートが力士になれば、モンゴル力士に対抗できるのではないか。

羽黒蛇

2015年2月 1日 (日)

「六十年目の自画像」明治の大関大達の記述を引用(羽黒蛇)

「六十年目の自画像」明治の大関大達の記述を引用(羽黒蛇)

 

昭和37年の本、「六十年目の自画像」より、大関大達の記述を引用。

大達は、力はたいへん強く、両手で相手の首を挟みつけて投げ倒す、いわゆる徳利投げという技をよく用いた。また仕切りのときは、両手を土俵の上におろさず、拳骨(げんこつ)を相手の目の前に出してチラつかせ、相手の立ち上がりを誘う中腰仕切りをやっていたという。大達の相撲振りは、もとより技巧派ではなかった。力相撲の強引相撲で、恐るべき荒法師であったようだ。

 

大達は、喜怒哀楽を露骨に現わす直情径行的な人柄であったとおもう。しかし、それだからといって、大達を非難するのは当たらない。こういう英雄的人物は、勝れた特長と、大きな欠陥とが、その中に共存するのが世の常だからである。引用終わり。

 

白鵬は大達タイプの力士なのかもしれない。羽黒蛇

2014年11月10日 (月)

相撲錦絵 [Kindle版]

Amazonに投稿、相撲の本の感想(羽黒蛇)

 

相撲錦絵 [Kindle]

歌川広重 , 歌川豊国 , LOGDESIGN publishing 

 

購入してよかった価値あるkindle本。

365円と安い。

Kindleの画像は、書籍よりも鮮明。

江戸時代の力士に関心はあるが、知識が少ないので、とても勉強になる。

是非、シリーズ化して欲しい。

 

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00NMO259K/ref=cm_cr_ryp_prd_ttl_sol_0

2014年7月12日 (土)

「東京自叙伝」に登場する相撲(羽黒蛇)

「東京自叙伝」に登場する相撲(羽黒蛇)

書名:東京自叙伝

著者:奥泉光

出版社:集英社

127ページ

戦争してみて少しでも辛ければ、すぐに引っ込むのがアメリカである。

戦争するよりダンスホールで踊っていたいのがアメリカ人である。

そんな国に三千年の歴史が培う国民精神を盾にした我が皇国が負ける道理があろうか。

かりに日本を双葉山とするならば、アメリカなどは栄養過多の肥満児にすきぬ。

と、コンナ調子で村尾は論じていたが、これは私の書いたメモが元ネタになっている。

双葉山云々の喩えも私の発明だ。

143ページ

筋目正しい地霊ならば、火柱くらいは立ててB29の一機や二機は打ち落とすところなんだとうが、そんなこともなかったところをみると、かりに地霊だとしても大した地霊じゃないんでしょう。相撲で申せば幕下あたり、

150ページ

靖国神社の相撲場

269ページ

私は力士時代の力道山のファンで、いわゆるタニマチというやつだが、力道山が二所ノ関部屋をしくじって新田建設の新田社長の下に居た時分もどきどき酒を飲ませたり小遣いをやったりしていたところ、ハロルド坂田と云う日系人レスラーが進駐軍の慰問で来日して、(略)そこで私と日新プロモーションの永沢社長の二人で新田社長を説得して力道山をハワイへ行かせた経緯がある。

補足:

この小説は、歴史上の人物を仮名にしてある。例えば正力松太郎は、正刀杉次郎。

双葉山、力道山は、そのまま。

新田社長もそのまま。ネットで調べたら、ハロルド坂田も実名。

永沢社長は仮名、永田社長が実名。

羽黒蛇

2013年10月19日 (土)

「大相撲の見かた」右四つと左四つ、どっちが多い(羽黒蛇)

「大相撲の見かた」右四つと左四つ、どっちが多い(羽黒蛇)

書名:大相撲の見かた

著者:桑森真介

出版社:平凡社新書

この本を読んで関心を持った箇所を引用し、感想を述べる。

80頁から引用

小見出し:右利きは右四つが組みやすい。すると数が少ない左四つは有利か?!

「平成253月場所の幕内力士42名中、右四つは20名、左四つは6名、どちらともいえない力士は16名である。

稽古で押しの練習をする場合でも、受け側は右胸を前に出し、押す側はその右胸を押すことが一般的だ。これは右四つで、右胸が前に出る体勢と合致している。つまり右四つがベースとなった稽古が行われているのである。」

「一般的には、左四つは力士の中でも比較的少なく、左四つの体制を押すことには不慣れなために、左四つが有利になるのであろう。」

94頁から引用

「序二段:平成253月場所では九十四枚目までの番付がある。つまり東西合わせて200人近い力士がしのぎを削っている激戦の階級といえる。」

154頁以降から引用

小見出し:補論 科学データで読み解く ちょっとディープな相撲のはなし

小見出し:立合いで力士が体に受ける力は1トンを超える

小見出し:足を滑らせるためにある、土俵の砂の不思議

小見出し:押し上げることで、相手の体重を自分の力に変えられる!?

小見出し:立合いに両手をつくと有利か不利か

「相撲経験のある関係者は、立合いに両手をつくとスピードが落ちて当たりが弱くなると感じるようであるが、実際の測定データから、むしろ有利になることがわかった。」

「経験から生まれる思い込みと現実が異なることを、科学的なデータが実証した一例である。」

小見出し:土俵を大きくすると小さな力士が活躍できる?

「私たちの研究グループでは、直径16尺(4m85cm)の拡大土俵と、直径15尺(4m35cm)の両方で学生の相撲選手に住もうを取ってもらい、体重の軽い側がカツ率、決まり手数、競技時間を比較した。

土俵を拡大すると、体重差が10%以上ある取組では、体重の軽い方が、30番行うと23番多く勝つことができるようになると分かった。決まり手数と競技時間は、土俵を拡大しても大きな影響は見られなかった。」

羽黒蛇の感想:

私は、右四つより、左四つの方が多いと感じていたので、右四つが多いという数字は新鮮だ。

自分が相撲を熱心に見た子供の頃、柏鵬、北玉時代は、左四つが多かったのか、一度調べてみたい。

千代の富士が大関・横綱とスピード昇進した当時、右四つの千代の富士が、左四つが多い上位力士に勝てるようになったのは、相撲の早い千代の富士が、自分十分・相手不十分の体勢になるからだと、感じていたのを思い出した。

上位に右四つが多ければ、千代の富士が十分でも相手も十分なら、そんなには勝てない。

のちに、右四つの隆の里が強くなってから、千代の富士が苦手としたのも、自分は体が小さいのに、相四つだから。

序二段は、相撲の弱い力士が多く、一番つまらない階級である。激戦の階級と表現するのは誤りである。序二段から三段目にすぐ昇進できない力士のほとんどは将来性がないと、私は評価している。

序ノ口は、入門したばかりで相撲を覚えていない力士たちの、体格・足腰の強さ・面構えを見て、将来強くなるかを想像する楽しみがあるが、序二段は、見飽きた弱い力士たちの、ゆるゆるの階級と感じる。

科学データで読み解く相撲の話は、知らないことも多く、読みごたえがあった。羽黒蛇

2013年3月27日 (水)

34歳ドイツ人の相撲の本を見てみたい(羽黒蛇)

34歳ドイツ人の相撲の本を見てみたい(羽黒蛇)

 

文末に引用した朝日新聞の記事で知ったドイツ人の書いた相撲の本を見てみたい(ドイツ語なので読めませんので)

AMAZONで調べたけど、見つからず。ドイツ語の書名が分からない。

 

この著者は日本に来て、相撲部屋の稽古に通い、力士に認知されている。

アイドルの握手会に通い、アイドル本人に認知されるファンを連想した。アイドルと違って相撲部屋に通うには参加料がかからない。羽黒蛇

 

I am writing Sumo blog.

I want to read your book and write blog article.

Could you please tell me the title of the book so that I can buy by Amazon.

著者のfacebookに投稿してみます。羽黒蛇

 

(ひと)マンフレート・ドイチュレンダーさん ドイツで相撲の解説本を出版した

 

マンフレート・ドイチュレンダーさん=池田良撮影

 昨年末、ドイツ語で「相撲の魅力」と題した本を出版した。取組や力士の生活だけではなく、呼び出し、床山ら裏方の活動も紹介している。「伝統と美しさを持つ相撲は、スポーツを超えた存在」

 15年前、テレビで初めて相撲を見た。巨体がぶつかる迫力に圧倒され、化粧まわしやまげの様式美に感動した。「とりつかれたんです」。初観戦はその4年後。今回の春場所で観戦はもう18回目だ。

 ドイツでは電力会社で働いているが、渡航費用が足りないときは父親の援助を受ける。「お父さんがタニマチです」と日本語で笑う。日本の言葉と文化はドイツのセミナーや日本の大学で学んだ。

 角界の人と仲良くなるため、朝稽古にも連日顔を出す。だから、顔なじみの力士や裏方が数多い。今場所、幕内若の里に「よく来たな」と握手された。本に掲載された850枚の写真と約180ページの文章は、そうやって培った人間関係のたまもの。力士の普段の生活は境川親方(元小結両国)に頼み込んで撮影した。フェイスブックで行司や呼び出しと「友達」になり、しきたりを教えてもらった。「みんなと友達になれるなんて、15年前から考えたら夢のよう」

 ドイツでは、相撲の魅力はなかなか理解してもらえない。「いつか、大学の講義で相撲の素晴らしさを伝えることができたら」。それが次の夢だと思っている。

 (小田邦彦)

     *

 Manfred Deutschl●(●はaに¨〈ウムラウト〉付き)nder(34歳)

2012年7月16日 (月)

相撲書籍:押尾川部屋の機関誌・縮刷版

相撲書籍:押尾川部屋の機関誌・縮刷版

「このごろの相撲を見ていて感じることは、なぜか、はたき込み、引き落とし、突き落とし、という決まり手の多いことだ。

それも、立ち合い頭からぶつかって激しい押し合い突き合いの攻防があってののち、機を見てのはたき込み、突き落としが決まるのなら面白さもひとしおだが、最近のはそうではない。

まず立ち合い一瞬のそれ、最初から計算してのはたきや突き落としであり、ひどいときnいは一秒前後のはたき込みが三番も続いたことがある。」

書名:押尾川部屋 創刊号(昭和53年8月28日)~第74号(最終号/平成16年12月23日)

発行者:大石亨太郎

発行日:2010年11月7日

押尾川部屋の機関誌を縮刷版で発行されたもの。雑誌「相撲」で紹介されていたものを、アマゾンで買い求めた。

冒頭の引用は、昭和60年の記事より。羽黒蛇は今の相撲で変化による一瞬の勝負が多いと不満を抱いているが、いつから増えたのか明確に指摘できない。この記事は参考になった。

この本で初めて知ったこと:作家立松由記夫は、学生時代、両国のビリヤード場で、当時幕下の佐賀ノ花と知り合い、兄弟の契りを結んだ。

立松氏は、西日本新聞で相撲記者、「ふれ太鼓」ほかの著者もある相撲通。押尾川部屋を公演。

立松氏の実兄である建石賢治氏は、昭和50年に、門真市に、「私設・日本相撲記念館」を創設、昭和2年頃からのコレクションを展示。

小戸龍:私の相撲同好会の先輩が応援していた。昭和16年5月場所新入幕の小戸ケ岩(若藤部屋)の孫

古市→若隆盛:後に、琴光喜を脅迫して逮捕された。

http://hagurohebi6.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-dea6.html ←本ブログでは2010年6月にとりあげた。

鈴川→若麒麟:後に、大麻問題で解雇

押尾川部屋からの関取は、wikipediaによると

関脇 

平幕

十両

羽黒蛇

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