横綱降格制度の提案

2014年10月16日 (木)

いくつかの横綱の謎は、「功績のある大関からランダムに横綱という名誉が与えられた」と解釈すれば解ける。(羽黒蛇)

いくつかの横綱の謎は、「功績のある大関からランダムに横綱という名誉が与えられた」と解釈すれば解ける。(羽黒蛇)

 

一つ前の記事で引用した和歌森太郎の著作では、

初代梅ケ谷は、5年間で一回しか負けなかったのに何故横綱になれなかったのかを分析している。

 

もし天覧相撲がなかったら、この力士ほど横綱にふさわしい大関は他にはいないという梅ケ谷は大関のまま引退した。

江戸時代の最強力士雷電は、大関のまま引退して、横綱にならなかった。優勝相当28回。

小野川の後に横綱になったのは阿武松だが、その間に強豪大関が二人。柏戸(優勝相当16回)、玉垣(優勝相当7回)。この二人より弱い大関がその後の横綱免許を与えられている。

大正から昭和にかけて、玉錦は5回優勝してもようやく横綱に昇進。つまり、4回も優勝して横綱になれなかった。

雷電・柏戸・玉垣・初代梅ケ谷(の横綱昇進できなかった大関時代)、玉錦(横綱昇進できなかった大関時代)より、はるかに悪い成績で横綱になった大関がいる。

 

何故か。

 

功績のある大関からランダムに横綱という名誉が与えられてきたのが相撲の歴史である。ランダムとは、めぐり合わせ。運があれば横綱、運がなければ横綱になれない。雷電は運がなく、不知火は運があった。初代梅ケ谷は、なかなか横綱になれなかったという運の悪さ。天覧相撲で横綱になった運の良さ(プラス)は、それまでの運の悪さ(マイナス)で帳消しの上にマイナス過多。

 

つまり、横綱とは、いい加減なもので、さほど権威がないと考えた方がよいと思えてくる。(これまで相撲の歴史について無知だった羽黒蛇が最近相撲の歴史書を読んでの実感)。

 

現代に話を飛ばす。

横綱の土俵入りは興行のために必要で、少なくとも東西に二人の横綱がいるのが望ましい。

なので、横綱の数が少ない時は、不知火のように、西ノ海のように、武蔵山のように、男女ノ川のように、鏡里のように、安易に横綱を昇進させることに反対はしない。

が、弱くなった横綱は、強くなった大関と入れ替えて、横綱の権威をまもりつつ、元横綱が大関として相撲をとる姿をファンに見せた方がよい。降格となった元横綱が大関で取り続けるか、引退するのは本人の自由。

 

羽黒蛇

2014年10月14日 (火)

オサエ、江戸から明治にかけての大相撲(羽黒蛇)

 

オサエ、江戸から明治にかけての大相撲(羽黒蛇)

 

 

 

和歌森太郎著作集、15相撲の歴史と民俗、37

 

文明開化の思潮が濃くなっていくにつれて、相撲の持つ古典的な味が一がいに旧弊としてののしられたことも当然であった。

 

のみならず、その当時角界には八百長が非常に多かった。

 

その点も新しい時代に相応した競技とはいいにくいという批評になって指摘された。

 

また、オサエという隠語があって、年功が積まなければ、たとえ実力は強くても、弱い先輩に勝ってはならない不文律が行われていたが、

 

これも、見物をだますこともはなはだしいものだと非難されていた。

 

人間それぞれ自律自存すべき今日、このような行為を打破しなければ、相撲は亡びるであろうといわれた。

 

 

 

感想!

 

江戸時代の話。大関に勝って師匠に褒めてもらいたくて部屋に帰ると、叱られたという有名な逸話。「お前が大関に勝ったので、明日からのお客の入りが悪くなる」

 

 

 

逸ノ城が、立合いの変化で、稀勢の里・鶴竜に勝った相撲に対して、「横綱大関に初めて対戦する力士が立合い変化などとんでもない」という非難を聞いた時に、相撲ファンの中には、オサエの伝統がある、

 

つまり「若手は上位に挑むけれども、横綱大関が勝つべきである」「若手は上位に対して、勝つ可能性が高い作戦を選ばず、玉砕すべきである(自分の相撲を取ってどれだけ通じるかを試すのが本場所の相撲という美名の元に)」と感じた。これは自分自身の心情を自己分析した結果でもある。

 

 

 

私は横綱は勝てなくなったら降格すべきであると考える。

 

現代の相撲では、オサエの伝統は排除された。

 

横綱が勝ち続けることはできないという前提で、番付を柔軟に編成すべき。

 

 

 

横綱には降格はなく引退しかないことが大相撲の価値を高めているという意見に対しては、少しでも八百長を疑われない制度が好ましいと指摘したい。

 

 

 

相撲の伝統は、横綱降格制度を採用しても揺るがないであろう。

 

そんなに、やわなものではないと確信する。

 

 

 

羽黒蛇

 

2012年11月28日 (水)

横綱の責任など、問う必要ななく、のんびりと、おおらかに相撲を見たい。(羽黒蛇)

 

横綱の責任など、問う必要ななく、のんびりと、おおらかに相撲を見たい。(羽黒蛇)

 

読者から私の「横綱降格(新)制度のすすめ」に対して肯定的な意見お二人からを頂いた。

 

坂井桂介さん

やはり横綱の降格があってもいいんじゃないでしょうか。

栃若時代の少し前にそんな動きもあったと聞きます。

現在の横綱「推挙」ではなくて、吉田司家時代の横綱「免許」に戻し

成績が振るわない横綱は、一時「免許」停止にするとかね。

 

shin2さん

鏡里のwikipediaからの引用ですが、

>>19581月場所に吉葉山潤之輔が引退すると、53敗と不振だった鏡里へマスコミが殺到した。鏡里は「横綱の責任を果たせなければ辞める」と発言したところ、記者から「具体的にはどういうことか?」と聞き返されたため、「10番勝てない時だ」とうっかり発言してしまった。鏡里は結局13日目に敗れて6敗となり、目標と語った10勝は不可能になってしまったが、残りは見事に勝って96敗として留まった。

周囲からはまだ取れるとの声も多かったが、中日でうっかり発言した通り場所後に引退を表明し、一代年寄「鏡里」を襲名し、以降後進の指導に当たる。

マスコミは1958年から何も変わっていない。反省もしない。

横綱まで昇りつめた力士の進退は、横綱自身が決めることだ。

マスコミが引退に追い込んではならない。

でも貴乃花や若乃花も、実際はマスコミに追い込まれて引退している。

 

 

横綱降格制度について他の方がどのように議論しているかを、ネット検索で調べたところ、yahoo知恵袋に載っていた。提案した方一名、その提案者に反対する意見多数で、袋叩きのような印象を持った。

 

私が横綱降格制度を提案するのは、まず、好きな力士の相撲を一番でも多く見たいから。

相撲が好きなので、ほとんどの力士は好き、一番でも多くその力士の相撲が見たい。

 

第二に、大相撲とは、もっと「おおらか」であって欲しいから。

shin2さんが取り上げている例では、

吉葉山は、あまりに弱くなってしまったから、横綱として引退するか、現役を続けたければ大関から再スタート。

鏡里は、まだまだ、のんびりと横綱を続ければよかった。

貴乃花は、怪我が治るまで、何場所でも、何年でも休場すればよかった。(だたし休場なので、降給は必要となるだろう。

若乃花勝は、現役を続けたければ大関から再スタートが妥当だった。

 

横綱の責任など、追求しないで、のんびりと相撲を見つめていればよい。

横綱に昇進するとは、ものすごい成績を残したのであり、それを評価して、

いつでも休場してよいし、

弱くなったら、大関から再スタートを認める。

 

双葉山が横綱だった時代に、もう一人の横綱だった男女ノ川は弱かった。しかし、長い間現役を続けている。

 

東西に横綱がいた方がよいし、土俵入りが双葉山一人では物足りないし、弱い横綱だけど、「まあ、いいではないか」という、のんびりとしたおおらかな気持ちがあったのだと思う。

 

一番強い双葉山に対して、五番目くらいにしか強くない男女ノ川でも横綱を続けていたということは、地位は横綱だけど、実質的には降格した横綱だった。

 

昔はそれでもよかった。これからも、それでよい、と思う。

 

羽黒蛇

2012年11月27日 (火)

横綱とはいえ、勝てない時がある。7勝8敗でもよい。(羽黒蛇)

横綱とはいえ、勝てない時がある。78敗でもよい。(羽黒蛇)

 

日馬富士の96敗(5連敗)についての報道を読むと当然のように批判・非難されている。しかし、横綱が96敗とは、そんなに悪い成績なのだろうか。長い間相撲を見てきた私にとっては、「よくあることだ」という感想である。

 

横綱だって、調子の悪い場所はある。私が新聞記者だったら、「今場所の日馬富士は調子が悪かった。調子のよい場所であれば、まだ優勝するチャンスはある。」と書くだろう。

今場所は不振だったのは見れば分かることである。日馬富士が今後優勝できないのか、調子のよい場所ならまだ優勝できるのか、新聞記者のプロの目での論評が読みたかった。

 

ネットで読んだ報道に対して違和感をもった部分を引用して、感想を。

(朝日)新横綱への期待を裏切る9勝6敗。クンロクは弱い大関を腐す言葉で、およそ最高位の星ではない。

(蛇)横綱が96敗でも、かまわない。

 

(朝日)反射神経に任せた日馬富士の取り口は、サーカスの味である。九州でも、綱渡りの土俵際に審判が「勝負あり」と勘違いし、相撲を止めてしまう珍事が起きた。速さは魅力でも、ドタバタは最高位にそぐわない

(蛇)速さという武器で勝てない時、軽量力士は「ドタバタ」になる。「どっしり」と負けるのは、鏡里のような体格の力士。日馬富士は、速攻の技・運動神経で勝つ相撲を、一番でも多く見せて欲しい。

 

(朝日)横綱の12勝は最低限の務めだろう。

(蛇)横綱の最低限の務めが何勝かは、議論の余地がある。10勝説が強い。12勝は、調子のよい横綱が可能なレベル。白鵬のような強豪横綱であれば、調子が悪くても12勝できる時がある。しかし、12勝を果たすべき最低のレベルとすると、それは直感的に無理である。

最低限の務めというと、高校生なら赤点をとらないことだろう。40点以上なら最低限をクリア。横綱にとっての40点とは、私は、9勝だと思う。8勝が20点、7勝が10点、6勝以下(休場を含む)が0点。

 

大乃国、若乃花勝という二人のガチンコ横綱が、ともに78敗の場所を見せてくれた。

横綱でも、調子が悪ければ、負越すのである。

それくらい、厳しい、実力の世界なのである。

 

私は、負越す可能性があるなら、横綱の権威を守るために休場するべきだという意見には反対である。

強い横綱でも、弱い横綱でも、その横綱の相撲を見たいというファンがいる限り、出場することが望ましい。

 

(朝日)もはや降格は許されず、負けが込めば辞めるしかない。白い綱の冷感がしみる、非情な地位である。

(蛇)調子の悪い横綱が引退に追い込まれてしまうことは、相撲協会にとっても、ファンにとっても大事な文化的財産の喪失である。弱い横綱は、大関から出直す等の新しい制度が必要である。

 

羽黒蛇

2011年5月26日 (木)

八百長防止は簡単にできる (羽黒蛇)

すもう瓦版「土俵」に投稿した原稿を紹介します。

内容としては、このブログで提案したことをまとめています。

羽黒蛇

八百長防止は簡単にできる 

力士二人が示し合せれば八百長ができるから、八百長を完全になくすことはできない。仕組まれた八百長で見応えのある相撲を取ることは可能であり、ガチンコの相撲でも簡単に勝敗が決まることはある。よって、相撲内容で八百長か否かを判断することはできない。

八百長防止のために、力士のモラル向上をはかり、八百長が起こらないように監視することは重要であるが、これらをどんなに徹底しても、八百長を防ぐことはできないから、手段として適切とは言えない。

八百長を防ぐには、「八百長をすると損をする」取組編成と番付編成を新たに導入するしかない。現在の問題点は、

・幕内下位(十両)で勝越しと負越しを繰り返していれば、十両(幕下)に落ちない。

・星の回し合いで、お互いに地位を維持することができることである。

まず、取組編成については、単純な原則を導入する。13日目、14日目、千秋楽は、次の二つのグループに分けて、同じグループの中で対戦させる。

・グループ1は、勝越し力士及び負越し力士

・グループ2は、勝越し負越しを決めていない力士。12日目で、7-5・6-6・5-7、13日目で、7-6・6-7、14日目を終わった時点で、7-7の力士。

グループ2同士で対戦させることにより、ファン、世間、文科省に対して、「この取組編成であれば、力士は八百長ができない」と、納得してもらうことができる。

幕下以下では、初日から千秋楽まで、必ず同じ成績の力士が対戦しており、これを幕内と十両の終盤戦に拡大して適用するという単純な発想である。

さらに番付編成では、力士が来場所の番付を予想できないようにするために、二つの対策を実施する。

星の売買、星の貸し借りが行われるのは、今場所の星勘定で来場所の地位が読めるからであり、これが八百長の温床である。力士が翌場所の地位を読むことができなくなれは、八百長しても地位を維持できるかどうか分からなくなり、結果として八百長が減る。

一つ目の対策は、幕内と十両の定員(現在は幕内42、十両28)を毎場所、幕内3842人、十両2428人の範囲で変える。どうやって場所ごとの定員を決めるのかは、公平をきすために、くじで決めるのがよい。

二つ目の対策は、昇進の数を4-10人の範囲で、これもくじで決める。通常の成績では2人しか陥落しない場所で、3人以上の昇格が決まったら、下位で勝ち越している力士では陥落する可能性がある。

 

 以上の制度を導入すると、一場所一場所は幸運にも昇進する力士と、不運にも陥落する力士が出る。しかし、長い目で見ると、強い力士が昇進し、弱い力士が陥落する。本当は弱いのに、星の売買・貸し借りで地位を維持することが難しくなる。

幕内下位では87敗でも、十両に陥落する可能性がある。8勝した後で、他の力士から「君は勝ち越しているのだから、星を売ってくれ」と誘われても、「8勝では陥落するかもしれない、9勝でも不安だ、10勝を目指して幕内維持を確実にしなくは」と断ることになる。

 

 次に、八百長防止の観点で、横綱・大関の昇進基準と降格基準を同じにすることを提案したい。昇進が難しく、降格基準が甘いという現行制度は、八百長の温床である。昇進時の成績を維持できなければ降格させる基準にして、弱い横綱を大関に降格、弱い大関を関脇に降格させる。具体的には、

・大関以上の定員を基本的に4人とする。

・横綱への昇進の基準は、6場所で66勝(平均11勝)以上とする。昇進後これを満たさなければ降格。

・大関への昇進の基準は、6場所で54勝(平均9勝)以上とする。この基準を満たす力士がいれば、大関の定員を増やす。

・休場の場合は、地位を降格させない。給与は減額とする。横綱大関を含む全力士に適用する。

6場所で54勝をあげることは難しい。勝ち越した大関は、9勝目、10勝目を目指すから八百長で星を売ることも、人情相撲で勝ち越していない大関に勝ちを譲ることも減る。

大関・横綱の昇進前直前の場所で、大勝しなくても、6場所の通算が昇進基準を満たせば昇進できる。昇進するための星を買わなくても、実力がつけば、自然に昇進する。仮に星を買って大関・横綱に昇進したとしても、降格基準が厳しいので、地位を維持することはできない。

休場しても地位が降格しないので、力士は思い切った相撲をとることができる。怪我をした場合に、完治するまで休場できるので、無理して出場する必要はなくなり、相撲の質が向上する。

この昇進・降格基準は、相撲の伝統を損ねるだろうか。私の感覚としては、「明治時代に帰る」である。常陸山・梅ケ谷の時代の前は、横綱・大関は4人以下であった。

強い力士が、横綱・大関に昇進する。強さを維持している力士のみが、横綱・大関を維持する。これを番付の基本と考える。現行制度は、昇進後の成績が、昇進前より悪くても、地位を維持できる故に、番付の基本に反している。基本に忠実となり、八百長を減らす。

 

 最後に、八百長疑惑力士の引退勧告という処分は、重すぎた。琴光喜の解雇も、朝青龍の引退勧告も重すぎた。規定にはない罰であるが、序ノ口に陥落させ、力士には反省の機会と復活のチャンスを与えるべきであった。

 

 相撲協会という経営側の処分に対し、力士を守る労働組合がないのが、不当解 雇の一因である。弁護士の知恵を得た協会が「裁判をしたら恥の上塗りになる」と力士を脅迫したら、「本当にそうなのか」と労働組合の弁護士に相談に行くというのが、あるべき姿である。協会は守られている。力士は守られていない。

八百長や違法賭博の罪は重い。しかし罪の重さと処分の重さは、合理的かつ妥当でなければならない。相撲賭博で儲けるために意図的に負けたのであれば、解雇に値する。そうでない八百長、それも初犯での引退勧告は、適正な処分ではなかった。八百長が昔から続いていたのだから、初犯で解雇は、不当である。「力士を甘やかせ」と主張しているのではない。力士をもっと大事にして、妥当な処分をして欲しかった。

一相撲ファンとして、正直な感想は、「相撲協会は力士に冷たい。」相撲協会は八百長疑惑力士を処分して、5月技量審査場所にこぎつけた。しかし、力士の協会に対する信頼を失い、相撲ファンを失望させるという代償を払った。羽黒蛇

 

2011年5月 5日 (木)

八百長防止策を簡単で、わかりやすくする。 その1:横綱・大関について(羽黒蛇)

八百長防止策を簡単で、わかりやすくする。 その1:横綱・大関について(羽黒蛇)

このブログでは、八百長防止策を論じているが、これまでの議論は複雑で分かりにくいという難点があった。簡単で、分かりやすくするために、再考してみた。

これまでブログで論じたことと、新たな意見を交えて、書いた。

基本的な考え方として、

1.取組編成と、番付編成を変えることで、八百長を防止する。

2.八百長を完全になくすことは無理である。何故なら、力士二人が示し合せれば八百長ができるのだから。相撲内容から、八百長か否かを判断することはできない。仕組まれた八百長で大相撲を取ることは可能であり、ガチンコの相撲が簡単に勝敗が決まることはよくあることだから。

3.八百長防止のために、力士のモラル向上をはかり、八百長が起こらないように監視することは重要である。しかし、これらをどんなに徹底しても、八百長は起こりうるという前提で対策を考える必要がある。

4.八百長したら損をする取組編成と番付編成を新たに導入する。

現在の制度で何が問題か。

1)大関・横綱に昇進する時に高いレベルの成績が求められるのに、昇進した後の成績が悪くても降格しない。

大関に昇進すると、8勝でも、9勝でも、10勝でも、地位・給与は上昇も下降もしない。

2)幕内下位で勝越しと負越しを繰り返していれば、十両に落ちない。

十両で、勝越しと負越しを繰り返していれば、幕下に落ちない。

これが、星の回し合いで、お互いに地位を維持しようという動機となる。

横綱大関が八百長をしない対策、横綱大関に昇進する際に八百長がおきないようにする対策:

1)強い力士を横綱・大関に昇進させ、弱くなったら降格させる。

現在の制度の問題は、弱くなった横綱を大関に降格できないこと、及び大関維持の基準が甘すぎるので、弱い大関を関脇に降格できないことである。

2)横綱2名、大関2名、合計4名を番付の基本にする。

大関以上は必ず4人以上として、4人の中で成績優秀な力士が横綱となる。横綱にふさわしい成績を上げ力士がいない時は、昇進させない。従って、

横綱2名、大関2

横綱1名、大関3

横綱0名、大関4名がいずれか基本となる。

結果として、大関の資格は、成績が4位以内となる。6場所の成績で判断する。

大関から横綱への昇進の基準は、6場所で66勝(平均11勝)以上とする。横綱に昇進してから、この成績を維持できない場合は、大関に陥落とする。

3)張出横綱、張出大関は、横綱・大関に昇進させないと不公平なくらい強い力士が出た場合に、例外的に昇進させる。

張出横綱への昇進の基準は、6場所で66勝(平均11勝)以上とする。

張出大関への昇進の基準は、6場所で54勝(平均9勝)以上とする。

4)張出横綱が出るのは、3人以上の力士が、6場所で66勝(平均11勝)以上の場合だけとなる。

張出大関が出るのは、5人以上の力士が、6場所で54勝(平均9勝)以上の場合だけとなる。

5)休場の場合は、地位を降格させない。給与は減額とする。

以上の提案のメリットは、次の通り。

6場所で54勝をあげることは難しい。勝ち越した大関が、9勝目、10勝目を何とかあげようと、血眼になり相撲を取ることになる。八百長で星を売ることはなくなる。人情相撲で勝ち越していない大関に勝ちを譲ることも減る。

大関・横綱の昇進前直前の場所で、大勝しなくても、6場所の通算が昇進基準を満たせば昇進できる。よって、昇進するために、星を買う可能性が減る。

仮に星を買って、大関・横綱に昇進したとしても、星を買い続けて地位を維持することはできない。現行制度と異なり、降格基準が、昇進基準を同一で厳しいから。

休場しても地位が降格しないので、力士は思い切った相撲をとることができる。

怪我をして休場した場合は、怪我が治るまで休場することができるので、完治しないのに、無理して出場する必要はない。

ここで、以上の新制度が、相撲の伝統を損ねるかを検討する。

私の感覚としては、「明治時代に帰る」である。

明治時代は、大関以上は4人以下が基本だった。5人以上になったのは、常陸山・梅ケ谷の時代からである。

強い力士が、横綱・大関に昇進する。強さを維持している力士が、横綱・大関を維持する。これが基本である。現行制度は、昇進後の成績が悪くても、地位を維持できるので、番付の基本に反している。

基本に帰る。

これが、八百長をなくすために、大事なことであると考える。

羽黒蛇

2010年2月22日 (月)

横綱降格制度の導入で失う、大相撲の価値 (羽黒蛇)

横綱降格制度の導入で失う、大相撲の価値 (羽黒蛇)

本日初対面の方(相撲に詳しくはない一般の方)に、「朝青龍問題について、どう思いますか」と尋ねられたので、

「品格に欠ける横綱は、大関に陥落させて再起のチャンスを与えるべきである。朝青龍の場合は、サッカー問題の時に2場所出場停止ではなく、それより重たいペナルティとして大関に陥落させるべきだった。そうすれば、(不祥事を起してはいけないと朝青龍が自重して、)今回の引退は避けることができたかもしれない。」

と答えた。ポイントは、「横綱を、大関に陥落させる。」という、今の相撲界では認められていない制度の導入にある。

私の論に対して、質問された方には、、

「でも、相撲の特長って、横綱は、引退しか残された道がないところに、緊迫感があると思います。」

と言われました。

確かにそうです。他のスポーツでは、チャンピオンは負けたらその座を降りて、再度挑戦者になります。

相撲は横綱という地位についたら、引退しか道はなく、大関からの再挑戦することはできません。

この制度により、横綱は神格化され、相撲は他のスポーツにない価値を持っています。

私は、できたらこの価値は守りたい、守って欲しいと思います。

しかし、守りきれるのでしょうか。

いや、守ることにより失う価値(強い力士の早期引退)の方が、横綱陥落制度を導入して失う価値(横綱の価値・特殊性の減退)より大きいと、直感的に思っています。

双羽黒や朝青龍は例外であるなら、横綱引退制度を維持し、高められた横綱の価値を守る方がよいでしょう。

私は、双羽黒や朝青龍は例外ではないと思っています。

今後も相撲は強いけど、品格は不十分(または相撲の歴史・所作に敬意が払えない)力士が続出すると考えています。

それ故に、横綱陥落制度を導入した方が、総合的には、相撲の伝統の維持・発展につながると考えます。

このテーマについては、いろいろな角度から、分析していきたい。

羽黒蛇

2010年2月 6日 (土)

力士の2割、3割、5割が朝青龍のようになる事態にそなえて対策を考える 羽黒蛇

力士の2割、3割、5割が朝青龍のようになる事態にそなえて対策を考える 羽黒蛇

朝青龍の引退に関して、本ブログでは、残念であると表明しているが、解決しなくてはならない問題は、もちろんある。

相撲協会の対応を見ていると、「朝青龍が引退した。これで問題は解決した。」という思考回路で、今後の対策を怠るのではないかと、私は不安になる。

私は、朝青龍のような力士が、今後、増えていった時に、どのように対応するかを、今から、緻密に考えておき、きちっとしたガイドラインを力士に示す必要があると考える。

朝青龍に対して、「横綱の品格、相撲の伝統を汚した」という批判があるが、私は、強い力士ほど、朝青龍のように天狗になり、相撲協会や他人に迷惑をかける人間になっていく危険性が高いと思う。

現在は、問題のある力士が朝青龍一人であるから、朝青龍を切ればよい。

しかし、将来、問題のある力士が多数でる事態に備えて、力士を辞めさせるのではなく、例えば降格させて反省を促すという制度を築きあげる必要がある。

そのためには、横綱から大関(または序ノ口)への降格制度が必要である。

羽黒蛇

2010年1月26日 (火)

横綱について考える その2 (中村淳一)

 先の私案について補足したい。
 力士は大関にあって横綱昇進にふさわしい成績を残すことによって「横綱」という地位と称号をえるわけだが、横綱にふさわしい成績を残すことができなくなったとき、引退以外に横綱という地位を返上するという選択肢もあってよいとする。

 横綱返上を申し出る力士があらわれたとき、横綱審議委員会が招集される。その席上で過去の横綱の引退例と比較し「それには及ばない」という結論が出る場合もあるが、原則としてその返上は受け入れられ、審議委員会で返上が正式決定される。

 翌場所からその力士の地位は「大関」となるが、番付には「横綱」も併記される。横綱大関である。つまり地位は大関であるが、横綱の称号は保持したまま現役を続けることができるということである。ただし、その時点で巡業等花相撲では横綱土俵入りは自由に行われるが本場所では横綱土俵入りは行えず、大関以下の力士と一緒に地位に応じた入場順で土俵入りを行う(ただし、土俵入りの際「横綱○○○」と力士名を呼び上げられる。大関になって以降は大関以下の力士同様に番付は昇降する。二場所連続負け越せば、関脇に陥落であるが、称号はそのまま、横綱関脇である。小結に落ちても、平幕になっても同様。

将棋の世界は現在、名人と元名人合わせて6人の名人経験者がいて「名人の称号が軽くなりすぎているのでは」という意見もあるいはあるのかもしれないが、棋士一覧をみると贅沢な気持ちになれる。

相撲界も、例えば横綱4人。大関以下に4人の横綱称号保持者、合計8人の横綱がいる、ということになれば番付をみていてとても贅沢は気持ちになり、取組表にもより華があるようになるのではと思う。

 ここ半世紀をみても大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花、朝青龍、白鵬とほぼ途切れることなく大横綱が出現し続け、相撲の世界においてはむしろ大横綱が存在していることが常態化されているように感じるが、それら大横綱が国民的な関心を得たヒーロー、スーパースターであったかと問われれば、そうであった力士もしれば、そうとはいえない力士もいたということになるだろう。国民的関心を得たスーパスターの有無を比較するとむしろ不在であった時代のほうが長いように思う。
 であれば、大相撲も興行である以上、個としてのスーパースターが不在であっても、集団としてのより多くのスター力士を揃えることができる制度的な工夫はなされてもよいのではないかと思う。

中村淳一

2010年1月25日 (月)

横綱について考える その1 (中村淳一) 地位ではなく称号として、弱くなっても相撲を取り続けることのできる制度の提案

 把瑠都は、大きな破壊力を感じる相撲っぷりで、上に強く下に弱いというイメージですが、それがずっと横綱に勝てないということを不思議に思っていました。横綱、大関を除く上位力士で、今、最も大物感があるのは把瑠都以外には稀勢の里ですが、最近はとんと横綱に勝てなくなってしまいました。序盤から5連勝した時には大器ついに花開くか、と思ったのでしたが・・・ 関脇以下で大物感のある若手有望力士が横綱には勝てない、というのはたしかに、むしろ珍しいことかもしれません。

 さて魁皇のことです。3回目の優勝をしたあたりで横綱に昇進すべきであったと書きましたので、「本当にそうだったのだろうか」ということが気になり、彼の残してきた場所毎の成績を一覧してみました。
3回目の優勝をした直近3場所は、 13-2(2回目の優勝)、4-5-6休、13-2(3回目の優勝)でした。2場所前に優勝していたというのは記憶にあったのですが、2度の優勝にはさまれた場所(貴乃花最後の優勝場所ですね)が、途中休場だったというのは記憶にありませんでした。「これは3回目の優勝の時点で横綱に昇進すべきとは言えなかったな」と先ず思いました。あとどこを切り取っても横綱昇進にふさわしい成績を残していたと言い切れる時点はなく(5回目の優勝の翌場所12勝の時点では昇進してよかったとは思いますが)「5回もの優勝をしていても、魁皇は大関どまりであっても仕方なかったのか」とも思いました。
が、しばらく考えてみて、そういう風に感じるのは、横綱昇進について、私がまだまだ直近3場所にこだわっているからだ、と思い直しました。自説に固執するという気持ちが働いていたことも全否定はできませんが、たとえ間に途中休場があっても、直近3場所中2回の優勝。直近8場所で3回の優勝は、それだけで横綱昇進にふさわしかったとあらためて主張したいと思います。

 さて、その時点で魁皇が横綱に昇進していたら、それ以後は横綱としての成績ということになります。さらに2回の優勝を重ねているとはいえ、決して強い横綱であったとはいえません。
幕内通算勝ち星の新記録を樹立した今場所よりも数年早い段階で引退に追い込まれていたでしょう。

 では次に「横綱になるのが幸せか、長く力士を勤め続けられることが幸せか」という設問について考えてみたいと思います。個人レベルでは違う考えをもつ力士もいるでしょうが、「横綱になる」ということが多くの力士にとって最高の夢であり、もし横綱になれるのなら、以降も続けることができたはずの数年の力士生活を棒に振っても構わないと考えるのではないかと思います。
 が、このふたつは本当に対立する概念なのでしょうか。この両者を融合させた考え方はできないでしょうか。
「できる」と私は思います。たったひとつ「横綱、大関は強くなければならない」この既成概念を捨ててしまえば、それが可能になります。
 横綱は、そして大関は、ある力士が、大相撲の長い歴史と伝統により積み上げられてきた過去の幾多の力士の昇進例を鑑みて、昇進するにふさわしいだけの成績を残した。そういう力士に対して与えられる地位であり、称号である。それでよいのではないでしょうか。ひらたく言えば、横綱になった時点で、大関になった時点で、もう責任は果たしている。あとはその力士が「充分に取りきった」と満足するまで取ってくれれば良い。そうなればファンは、今は現役力士の中でそうではないにしろ、かつては最強レベルまで到達したことのある力士の熟練の技を堪能することができます。

 ただこの考え方にたてば、横綱、大関が10人、15人と増える。あるいは、負け越しが続く横綱が出現する、といった事態もありえる。本当にそれに耐えられるのか。また、毎日、延々と続く横綱土俵入りを見せ続けるのかということも検討しなければならない。
 従って、このことについては、現時点では自説として主張する段階には至らないが、私案として陳述し、さらに考えてみたいと思う。
(私が脳裏に描くのは名人失冠後も長く現役棋士であり続けた大山康晴、中原誠、米長邦雄の姿であり、今も加藤一二三、谷川浩司、丸山忠久、佐藤康光、森内俊之と元名人が5人存在する将棋会の姿である。)

中村淳一

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