このブログの主張

2011年5月26日 (木)

八百長防止は簡単にできる (羽黒蛇)

すもう瓦版「土俵」に投稿した原稿を紹介します。

内容としては、このブログで提案したことをまとめています。

羽黒蛇

八百長防止は簡単にできる 

力士二人が示し合せれば八百長ができるから、八百長を完全になくすことはできない。仕組まれた八百長で見応えのある相撲を取ることは可能であり、ガチンコの相撲でも簡単に勝敗が決まることはある。よって、相撲内容で八百長か否かを判断することはできない。

八百長防止のために、力士のモラル向上をはかり、八百長が起こらないように監視することは重要であるが、これらをどんなに徹底しても、八百長を防ぐことはできないから、手段として適切とは言えない。

八百長を防ぐには、「八百長をすると損をする」取組編成と番付編成を新たに導入するしかない。現在の問題点は、

・幕内下位(十両)で勝越しと負越しを繰り返していれば、十両(幕下)に落ちない。

・星の回し合いで、お互いに地位を維持することができることである。

まず、取組編成については、単純な原則を導入する。13日目、14日目、千秋楽は、次の二つのグループに分けて、同じグループの中で対戦させる。

・グループ1は、勝越し力士及び負越し力士

・グループ2は、勝越し負越しを決めていない力士。12日目で、7-5・6-6・5-7、13日目で、7-6・6-7、14日目を終わった時点で、7-7の力士。

グループ2同士で対戦させることにより、ファン、世間、文科省に対して、「この取組編成であれば、力士は八百長ができない」と、納得してもらうことができる。

幕下以下では、初日から千秋楽まで、必ず同じ成績の力士が対戦しており、これを幕内と十両の終盤戦に拡大して適用するという単純な発想である。

さらに番付編成では、力士が来場所の番付を予想できないようにするために、二つの対策を実施する。

星の売買、星の貸し借りが行われるのは、今場所の星勘定で来場所の地位が読めるからであり、これが八百長の温床である。力士が翌場所の地位を読むことができなくなれは、八百長しても地位を維持できるかどうか分からなくなり、結果として八百長が減る。

一つ目の対策は、幕内と十両の定員(現在は幕内42、十両28)を毎場所、幕内3842人、十両2428人の範囲で変える。どうやって場所ごとの定員を決めるのかは、公平をきすために、くじで決めるのがよい。

二つ目の対策は、昇進の数を4-10人の範囲で、これもくじで決める。通常の成績では2人しか陥落しない場所で、3人以上の昇格が決まったら、下位で勝ち越している力士では陥落する可能性がある。

 

 以上の制度を導入すると、一場所一場所は幸運にも昇進する力士と、不運にも陥落する力士が出る。しかし、長い目で見ると、強い力士が昇進し、弱い力士が陥落する。本当は弱いのに、星の売買・貸し借りで地位を維持することが難しくなる。

幕内下位では87敗でも、十両に陥落する可能性がある。8勝した後で、他の力士から「君は勝ち越しているのだから、星を売ってくれ」と誘われても、「8勝では陥落するかもしれない、9勝でも不安だ、10勝を目指して幕内維持を確実にしなくは」と断ることになる。

 

 次に、八百長防止の観点で、横綱・大関の昇進基準と降格基準を同じにすることを提案したい。昇進が難しく、降格基準が甘いという現行制度は、八百長の温床である。昇進時の成績を維持できなければ降格させる基準にして、弱い横綱を大関に降格、弱い大関を関脇に降格させる。具体的には、

・大関以上の定員を基本的に4人とする。

・横綱への昇進の基準は、6場所で66勝(平均11勝)以上とする。昇進後これを満たさなければ降格。

・大関への昇進の基準は、6場所で54勝(平均9勝)以上とする。この基準を満たす力士がいれば、大関の定員を増やす。

・休場の場合は、地位を降格させない。給与は減額とする。横綱大関を含む全力士に適用する。

6場所で54勝をあげることは難しい。勝ち越した大関は、9勝目、10勝目を目指すから八百長で星を売ることも、人情相撲で勝ち越していない大関に勝ちを譲ることも減る。

大関・横綱の昇進前直前の場所で、大勝しなくても、6場所の通算が昇進基準を満たせば昇進できる。昇進するための星を買わなくても、実力がつけば、自然に昇進する。仮に星を買って大関・横綱に昇進したとしても、降格基準が厳しいので、地位を維持することはできない。

休場しても地位が降格しないので、力士は思い切った相撲をとることができる。怪我をした場合に、完治するまで休場できるので、無理して出場する必要はなくなり、相撲の質が向上する。

この昇進・降格基準は、相撲の伝統を損ねるだろうか。私の感覚としては、「明治時代に帰る」である。常陸山・梅ケ谷の時代の前は、横綱・大関は4人以下であった。

強い力士が、横綱・大関に昇進する。強さを維持している力士のみが、横綱・大関を維持する。これを番付の基本と考える。現行制度は、昇進後の成績が、昇進前より悪くても、地位を維持できる故に、番付の基本に反している。基本に忠実となり、八百長を減らす。

 

 最後に、八百長疑惑力士の引退勧告という処分は、重すぎた。琴光喜の解雇も、朝青龍の引退勧告も重すぎた。規定にはない罰であるが、序ノ口に陥落させ、力士には反省の機会と復活のチャンスを与えるべきであった。

 

 相撲協会という経営側の処分に対し、力士を守る労働組合がないのが、不当解 雇の一因である。弁護士の知恵を得た協会が「裁判をしたら恥の上塗りになる」と力士を脅迫したら、「本当にそうなのか」と労働組合の弁護士に相談に行くというのが、あるべき姿である。協会は守られている。力士は守られていない。

八百長や違法賭博の罪は重い。しかし罪の重さと処分の重さは、合理的かつ妥当でなければならない。相撲賭博で儲けるために意図的に負けたのであれば、解雇に値する。そうでない八百長、それも初犯での引退勧告は、適正な処分ではなかった。八百長が昔から続いていたのだから、初犯で解雇は、不当である。「力士を甘やかせ」と主張しているのではない。力士をもっと大事にして、妥当な処分をして欲しかった。

一相撲ファンとして、正直な感想は、「相撲協会は力士に冷たい。」相撲協会は八百長疑惑力士を処分して、5月技量審査場所にこぎつけた。しかし、力士の協会に対する信頼を失い、相撲ファンを失望させるという代償を払った。羽黒蛇

 

2011年2月20日 (日)

相撲協会の改革は、世間にどう思われるかを意識して、決定せよ (羽黒蛇)

相撲協会の改革は、世間にどう思われるかを意識して、決定せよ (羽黒蛇)

八百長が本当になくなること と 八百長がなくなると世間が納得すること と、どちらが大事だろうか。

その1:八百長が本当になくなり、世間も八百長がないと納得している状態(実態○ 見た目○)

その2:八百長が本当になくなったけれど、世間は八百長があるのではないかと疑っている状態 (実態○ 見た目X)

その3:八百長がなくなったかどうか分からないけれど、世間は八百長がないと納得している状態 (実態X 見た目○)

その4:八百長がなくなったかどうかも分からず、世間も八百長があるのではないかと疑っている状態 (実態X 見た目X)

八百長が犯罪であれば、目指すのは その1 か その2 であるが、

八百長は犯罪ではないけど、世間から「やってはいけない」と糾弾されているのだから、目指すのは その1 と その3 となる。

「本質」より、「見た目」が大事なのである。

「自分自身をどのように律するか」より、「自分がどう律していると他人に思われること」が大事なのである。

相撲協会:このように改革したから、理論的に、八百長は再発しません。

世間:なるほど。

文部省:納得しました。

マスコミ:ここまでやるならできそうだ。感心した。

このような結果が求められている。

従って、疑惑の十両力士を処分するだけでは、マスコミの糾弾は続く。

過去の八百長を、その疑いだけでも認めて、こうすれば再発は防止できるという案を提示する。

さて、これが、今の相撲協会にできるだろうか。

私は、もう一つの切り口が必要であると考える。

大相撲は、スポーツであるけど、スポーツより相撲の方が大事なのである。

近代スポーツが成立する前から相撲の興行は存在しており、近代スポーツの論理は100%適用するのは無理がある。

これは、八百長を是認しろ、という主張ではない。

成立する論理が異なるという意味である。

私と同じような意見が、雑誌ナンバーのHPに、1980年の記事(復刻版)に載っていたので、コメント欄に引用する。

大相撲と同じように、異なる論理に悩まされているジャンルに、アイドルがある。(狭義アイドル歌手で、歌を歌うアイドルに、限定して論じる。)

アイドル(とアイドルファン)は、歌唱力がない、ジャリタレだ、大人が鑑賞するものではない、消えて残らない、実力がない、見た目がかわいいだけで裏では何をやっているか分からない、アイドル好きはロリコンで変態 などなど、さんざん批判・非難・暴言を浴びせられてきた。

しかし、アイドルとは、歌よりアイドルの方が大事なのである。(スポーツより相撲が大事なのと同一)

「歌が下手でも、アイドルとして輝いている方が価値がある」という主張は、「アイドルは、歌が下手だからこそ、輝いている」と進化しており、アイドルの作り手(例えばAKB48のプロデューサー秋元康)は、自らの商品を評して、「歌もダンスも下手」と繰り返し論説している。

その1:歌も上手くて、アイドルとしても魅力的 (○ ○)

その2:歌は上手いけど、アイドルとしてつまらない (○ X

その3:歌は下手だけど、アイドルとして魅力的 (X ○)

その4:歌も下手で、アイドルとしてもつまらない (X X) 

目指すは、その2ではなく、その3。

いまや、アイドルは、歌が下手であることを、ほとんど非難されない対象となった。

アイドルの黎明期・勃興期は、「アイドルの歌が下手」は批判対象だが、アイドルが文化として成熟すると、アイドルは歌が下手だという点では批判されなくなった。

「アイドルとは歌が下手でも許される存在だ」「アイドルとは、そういうものだ」と世間が認識したからである。アイドルを鑑賞するファンだけでなく、アイドルが好きでない一般大衆も含めた世間がである。

相撲は、逆である。

昔は、「相撲とはそういうものだ」「近代スポーツとは違う」と思われていたのが、

最近は、「相撲が生き残るにはスポーツの論理を受け入れろ」という論調に変わってきた。

相撲協会は、これを、元に戻す必要がある。そのための、世論作り、意識の浸透。かなり高度で、難解な仕事であるが、今の相撲協会にその能力があるだろうか。

「アイドルはアイドルらしさが、大事なのであり、歌が上手い歌手を鑑賞したければ、アイドル意外の歌手を鑑賞すればよいではないか。」

「アイドルらしさを鑑賞したければ、アイドル以外の歌手では鑑賞できない。」を敷衍すると、

「大相撲は、日本の伝統文化としての相撲が、大事なのであり、純粋なスポーツを鑑賞したければ、大相撲以外のスポーツを鑑賞すればよいではないか。」

「伝統文化としての相撲を鑑賞したければ、相撲以外のスポーツでは鑑賞できない。」

アイドルが、歌を歌うからこそ、面白いのと同様、

相撲も、スポーツだからこそ、面白い。

相撲が、土俵入りと、土俵祭という神事だけになったら、面白くないから、お客さんも見に来ない。

スポーツであるけど、スポーツだけではない 相撲。

歌手ではあるけど、歌手だけではない、アイドル。

私の人生で、長く鑑賞している二つのジャンルに、同じ構図がある。あまりに日本的な構図と言っておく。

私は、相撲ファンなので、「相撲がなくなっても、相撲以外のスポーツを楽しめばよい」という心境にはならない。相撲というスポーツでないと、興味が持てないのであり、相撲のように面白いスポーツは、他にはない。

従って、近代スポーツの論理で、相撲を排撃しようとする論には、反発を感じる。「あなたは、相撲がなくなっても他のスポーツがあるからよいでしょうけど、私は相撲がなくなると、生きる楽しみがなくなるのですよ。」というのが本音。

スポーツと音楽、相撲をアイドルに置き換えても同じことが言える。

「近代スポーツの論理で相撲を攻撃するマスコミ」に対抗して、「スポーツではあるが近代スポーツではない相撲を守りたい」から、相撲が好きな私は、これからもブログを続けていく。

最後には、識者の理屈より、大衆の本音が勝つのである。

相撲を見たい、伝統文化として維持したい という大衆の本音があるのなら、最後には勝てるのだが、相撲協会が相撲好きの大衆の総意に、応えられるかが問題である。

識者の理屈(アイドル批判)より、大衆の本音(アイドルの歌が聴きたい・見たい)が勝ったのは、アイドルの作り手が、しぶとくて、優秀だったから。相撲はどうだろうか。

羽黒蛇

2011年2月 3日 (木)

八百長が発覚しても、大相撲が好き (羽黒蛇)

八百長が発覚しても、大相撲が好き (羽黒蛇)

八百長を認めた力士は、解雇処分になりそうな雲行きである。

八百長を認めなくても、状況証拠がある力士も、解雇を含め重い処分を受けるであろう。

スポーツとしての相撲が、対外的に「八百長はない」と言明してきた故に、重い処分をせざるを得ない。

八百長の事実が発覚したことにより、相撲ファンは減るであろう。

現代において、相撲はスポーツとして認識されており、スポーツにおいて八百長が違反行為であることは、私も理解している。

しかし、私は、八百長の事実が発覚しても、相撲は好きである。

これまで、八百長はあるかもしれない、八百長があるという証拠が発覚しても、大相撲を嫌いになったり、見に行かなくなることはないだろうと思っていた。

そのような事態が現実になったが、自分の気持ちは変わらない。

私のように感じる人は、おそらく少数派であろう。

しかし、昔はどうだったのだろうか。

例えば、江戸時代に、現代におけるイーメールと同じような八百長の証拠が発覚したとしよう。

それで、相撲の人気は下がるだろうか。

江戸時代を生きたわけではないので、想像であるが、相撲の人気は、下がらなかったのではないかと、感覚的に思う。

江戸時代の相撲ファンは、スポーツとして相撲を楽しんでいたとは思えないからである。

勝敗が相撲観戦の一つの要素であった、これに異議を唱えるつもりはない。谷風が今日も勝つのか、という興味を持って、相撲を見に来た江戸時代の相撲ファンは、大勢いただろう。

しかし、勝敗、勝負が、相撲観戦の興味に占める割合は、現代に比べはるかに少なかっただろう。現代の感覚で語ると、ほとんどゼロに近かったのではないかと思う。

何故、そう想像するのか。

優勝制度がなかった。

勝敗のつかない取組みが多かった。引分、預かり、

不戦勝の制度がなかった。相手力士が休みの日は、自分も休みになる。

看板大関の制度があった。大柄だけと弱い力士を、一場所だけ大関にする制度。

相撲協会の公益法人としての公共性が、日本文化を継承することであるなら、相撲はスポーツでないと定義して、江戸時代の文化遺産となる選択肢もあるのではないか。

スポーツでなければ、八百長が仮にあっても (それがない方が好ましいことには変わりはないが) 力士が解雇されるほど重い罪にはならない。

スポーツでなく、文化遺産になる。それでもよいのではないか。

そもそも、相撲というのは、そういうものなのだから。

今回の八百長発覚報道を読んで、一相撲ファンとして、感じたことを書いた。

羽黒蛇

2010年11月15日 (月)

2010年九州場所 2日目 白鵬63連勝でストップ (羽黒蛇)

2010年九州場所 2日目 白鵬63連勝でストップ (羽黒蛇)

博多にて、よみうりテレビのインタビューを受けました。

明日の、日本テレビNTV, 午後155分~350  ミヤネ屋 という番組

多分出演します。本日現場で生観戦したお客は少ないので、他のインタビューはとれていないと思うので。

インタビューの場所:ちゃんこ 上潮(あげしお)

本名で登場していますので、羽黒蛇とは名乗っていません。下の名前は、昌勝です。

昭和33126日生まれ。若乃花勝治2回目の優勝の日(1月場所後、横綱に昇進)に生まれたので「勝」の字が名前に入っています。

インタビューで話したことを思い出してみると、次の通りです。

Q:白鵬が負けたことに、一言。

私:勝った相手が、稀勢の里でよかった。それと、いい相撲だった。去年白鵬は、翔天狼に叩き込まれて負けている。ああいう、つまらない相撲で、連勝が途切れることをおそれていた。

Q:今日の相撲をご覧になりましたか。

私:福岡スポーツセンターで見ました。向正面の椅子席でした。

Q:白鵬の敗れた相撲は、どんな相撲でしたか。

私:稀勢の里、左四つで、白鵬得意の右四つを許さず、攻め勝ちました。いい相撲でした。稀勢の里、今日のような相撲をとれば、双葉山にも勝てる。今日は、稀勢の里をほめるべき。

Q:白鵬の敗因は。

私:立合いが悪かったかもしれない。

Q:白鵬の連勝がとぎれましたけど。

私:相撲だから、連勝は難しい。連勝は続いて欲しかったけど、連勝が途切れたからと言って、相撲への関心が落ちるわけではない。明日からの白鵬の相撲に、注目。今場所残りを勝ち続けて、141敗で優勝できるか。

双葉山は、69連勝で負けた直後に3連敗して、その後玉ノ海梅吉に負けて、94敗で終わっている。

白鵬が双葉山を目標に目指しているなら、まず、連勝の途切れた場所を1敗でとどめ、双葉山と違うところを見せて欲しい。

白鵬の連勝が、69を超えるかは、実は、たいした問題ではない。63で終わったから価値が減じるわけではないし、70連勝しても、双葉山を超えるわけでもない。200連勝しないと、双葉山を超えたとは言えないでしょう。

Q:どちらにお住まいですか。

私:昨日、東京から、福岡に入りました。10日間相撲を見る予定です。

Q:お仕事の方は。

私:永続勤続30年のリフレッシュ休暇をとっています。

Q:ご家族の方は。

私:日曜日から父と一緒です。

Q:奥さんや、お子さんは。

私:家は相撲一家なので、文句は出ません。

Q:相撲はお好きで。

私:ブログ書いています。(iPAD で、羽黒蛇ブログを見せて、どんな記事を書いているか、解説した。)

こんな感じでした。ちゃんこ屋で、ビールと焼酎を飲んだので、少し酔っ払い。

羽黒蛇

2010年2月 2日 (火)

貴乃花 理事当選 何故3票増えたのか 妄想その2 (羽黒蛇)

私は別のブログで、現在のアイドル界で横綱に昇進したと言ってよいAKB48を中心にアイドル評論の記事を http://blog.goo.ne.jp/tedpapa に書いている。

AKB48は今でこそ、秋葉原の劇場の公演は、倍率40-64倍と、申し込んでもほとんど切符が当選しないという人気を博しているが、

始まった頃は、秋葉原の街中で客寄せをやったくらい知名度の低いアイドルだった。

AKB48が序ノ口から横綱に上り詰める過程で、そう、相撲で言えば序二段の頃、お客さんを集めるには、「お客さんがどのような企画やイベントを望んでいるのか」を調べるために、ファンのブログを読んで参考にしたと言われており、その事実は、「48現象」という本で知った。

スポーツであれ、芸能であれ、お客さんを集めて見ていただいて初めて成り立つ興行であり、お客さんに喜ばれるものは何か、何をどのように見せればお客さんに喜んでいただけるか を常に意識していないと、生き残っていけない。

貴乃花に最初から投票すると分かっていた親方が7人

一門の候補者に入れることになっていた投票者が111-7=94人。

私も、一応相撲の歴史は知っているので、一門の締め付けにより、貴乃花は7票で落選するという予想をしていた。

だだし、94人のうち、誰かが、私のブログを読んで、

「この筆者のおっしゃる通り、貴乃花を落選させるような相撲界は、ファンに見放されて、明日はないよなあ。」

と、思い直し、予定されていた一門の候補者ではなく、思わず、貴乃花に○をつけてしまう。こんなことを、妄想していた。

結果は妄想の通りとなったのだが、もちろん、始めたばかりで、一日100人未満のアクセスしかないブログを、相撲協会の投票者が読んでいるとは思っていない。投票者の心理のレトリックに自分のブログを象徴させただけのことである。

94人のうち、3人が、

例えば、奥様か子供に、「選挙なのに最初から結果が分かっているなんで、相撲協会って前近代的な組織に、お父さんは勤めているんだねえ。」と言われて気が変わったとか、

後援者の方と食事をした時に、「親方だけは、一門のしがらみよりも、自分の信念を貫いて下さい。」と言われたからとか、

指導を仰いでいる先達に、「民主主義のない組織は消滅していく、あなたも相撲協会の将来を考えるなら、よく考えて投票しなさい」と言われたからとか、

貴乃花に投票した理由が、相撲協会のために、前向きであったことを望みたい。

一つ前の記事に、新聞記者の分析記事を紹介したが、造反、裏切り、反逆という言葉を使うのは、私は好きでないし、

貴乃花に投票した3人が、一門の親方への私怨とか、あつれきがあったからではなく、(あったかもしれないが)、投票した理由が、相撲協会の将来のため であって欲しいと思う。

この思いが強すぎるので、妄想してしまう。

羽黒蛇

2010年2月 1日 (月)

貴乃花が理事に当選して欲しい理由 (羽黒蛇)

このブログを書き始めた目的は、

1.       現在の相撲協会のゆがんだ横綱・大関昇進基準を、伝統に戻し、相撲の歴史の正当性を確保したいから

2.       幕内優勝が、真の優勝となり、偽の優勝を撲滅したいから

3.       そのほか、自分の相撲に対する思いをかなえる可能性を高めるには、ブログで主張するしか手段がないから

なのである。

日本相撲協会という組織は、ファンの声に耳を傾けないという方針を持っているように見える。

ファンが何かを提案しても、「自分達は相撲のプロであり、相撲を知らない者の意見など聞く耳をもたない。」という態度なのである。

お客さんの意見に耳を傾けない興行が、存続し続けることが果たしてできるのだろうか、と考えると、極めて難しいであろう。

理事に立候補している親方のうち、お客さんの意見に耳を傾ける必要があると考えている というイメージが一番強いのが、貴乃花親方なのである。

故に、私は、貴乃花が理事に当選して欲しい。

そして、このブログに書いたことが、実現に一歩でも近づいて欲しい。

羽黒蛇

最近のトラックバック

2016年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

ウェブページ

無料ブログはココログ