横綱大関昇進基準

2015年11月25日 (水)

稀勢の里は品格がある(羽黒蛇)

稀勢の里は品格がある(羽黒蛇)

 

大相撲は面白い、と11月場所を見て感じたのは、過去の対戦で鶴竜に対して大いに優勢の稀勢の里が、立合いから一方的に攻められて簡単に負けてしまった12日目の一番と、

ここ一年のど輪で攻められて一方的に日馬富士に負け続けていた稀勢の里が、立合い左四つから一方的に攻めて日馬富士に勝った千秋楽の一番。

 

稀勢の里が鶴竜に対して分がよい、日馬富士が稀勢の里に対して分がよいのだが、実力に大きな差があるわけではないので、その場所その場所、その日その日で相撲内容が大きく変わる。

こんなに差がでるのは、稀勢の里が攻める相撲であるのと、何と言ってもガチンコだから、相撲が予想できない。

 

鶴竜は稀勢の里に変化した方が勝つ可能性が高い、

日馬富士は白鵬に変化して上手を取りに行った方が勝つ可能性が高いのに、

毎場所変化しないのは、勝利を追求していないから八百長だ、とは言えない。

鶴竜も、日馬富士も、どうしても勝ちたい時に、勝つ可能性の高い奥の手を使うため、温存している。

 

毎場所変化するのでは、相手が相撲を覚えて対処方法を身につけてしまう。

今場所は勝ちを犠牲にして、立合いから当たる。勝つ可能性の少ない戦法を選んでも、絶対負けるわけではないし、正攻法は負けてもいい相撲と褒められる。

さらに、どうしても勝ちたい場所で、変化して勝つ可能性を高めるためにも、(勝ちたいけど、どうしても勝ちたいわけではない他の場所では)立合いから当たるのである。相手が立合いからの当たりに対抗しようとすると、変化で勝つ可能性が高まる。

 

北の湖と稀勢の里を比べると、攻める相撲は共通で、大型力士に弱い(北の湖は朝潮、稀勢の里は把瑠都や碧山)のも共通、北の湖は取りこぼしがあり、稀勢の里は取りこぼしが多い。

もう一つの共通点は、二人とも、品格を感じる。

 

北の湖は品格ある横綱だったが、現役の時に品格を絶賛されたという記憶は私にはない。

横綱は品格に問題があると、「品格がない」と批判され、

品格があっても「品格がある」とは、なかなか言われない。貴乃花は例外で、求道者だから品格を指摘された。北の湖は求道者というより、常にベストを尽くすスポーツマンのイメージが強い。

 

品格がなくても(品格に不安があっても)勝てば横綱に昇進させなくてはならない。

品格に積極的な意義を認め、重きを置くのであれば、

稀勢の里は品格ある大関だから、星が足りなくても横綱に昇進させてもよいのではないか。相撲はスポーツではなく、伝統文化なのだから、稀勢の里が横綱になったら、どんな品格を見せるのか、を見てみたい。

 

羽黒蛇

2015年7月26日 (日)

技能賞該当者なしとは、相撲を見ていない証拠(羽黒蛇)

技能賞該当者なしとは、相撲を見ていない証拠(羽黒蛇)

 

今場所も技能賞は誰も受賞しなかった。そもそも、技能を発揮しなければ相撲はとれないし、勝てないのだから、技能賞該当者なしとは、選考者は相撲を見ていない、というのが論理学の初歩である。

 

千秋楽のテレビは録画観戦。取組に登場した順に、私が今場所テレビで「相撲を見て」技能を感じた力士たち。勝ち越し力士のみ。

遠藤10

阿夢露8

鏡桜9

妙義龍(千秋楽に勝って勝ち越せば)8

嘉風12勝(敢闘賞より技能賞がふさわしい) 敢闘賞には、隠岐の海11勝か大砂嵐11勝か碧山8勝、西二枚目で横綱大関と対戦して勝ち越した碧山は三賞に価する。

 

 

琴奨菊87敗カド番脱出

土曜日に読んだツイート 

@OdateUzaemon: 明日の琴奨菊照ノ富士戦、とんでもない大一番になった。今日白鵬か鶴竜が勝つ事が前提だが、優勝争い関係無い大関が角番五分の星の大関に勝ったとしたらかなり珍しい例になるのでは?

 

 

羽黒蛇の反応

実力の差が大きすぎて、照ノ富士が琴奨菊に負ける姿を想像できませんが、もし照ノ富士が負けたら、心やさしい力士。

琴奨菊千秋楽に勝っても、大関の実力既にない。

大関の地位を維持しているかと、大関の実力があるか(失っているか)は別。星でなく相撲内容で判断。

 

千代大海が大関の力を失っても、しばらく大関に居座った。関脇に落ちて相撲を取る方が、見ている方はすがすがしいし、本人も精神的に楽だろうに、と思いながら見ていた。

 

地位と実力は一致しない。関脇以下の力士が大関に勝っても殊勲賞に価しない、と同情してしまう大関が登場するのが大相撲の摂理。私はそれが好きではないが、歴史的には頻繁に起こる。

 

 

懸賞金の必要経費について、大相撲200212月号によると、

取組表への掲載料

場内放送料

垂れ幕を持って回る呼び出しへの手数料

 

羽黒蛇

2015年4月29日 (水)

27横綱の昇進前の戦績  (年6場所以後の昇進)  (データ提供 真石博之)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         
  勝数-負数-休数 勝率① 勝率②  優勝 場所数 昇進年齢 体重
 初代若乃花 339-187- 1 .644 .643   39 29/10 105 - 9
朝 潮  395-211- 6 .652 .645   42 29/ 4 131 +16
柏 戸 308-148- 0 .675 ⑥.675   ⑤ 37 ⑥ 22/ 9 127 +12
大 鵬  250- 79- 0 ①.760 ①.760   ③ 29 ② 21/ 3 133 +18
栃ノ海  373-192-20 .660 .638   47 25/10 105 -15
佐田  403-187-28 .683 .652   52 26/11 129 + 6
玉の海 489-285- 0 .632 .632   66 25/11 126 - 1
富士 537-342- 7 .611 .606   78 27/ 9 135 + 8
琴 櫻 657-394-57 .625 .593   85 32/ 2 149 ④ +25
輪 島  207- 92- 0 ⑤.692 ④.692   ① 21 25/ 4 125 - 2
北の湖  281-194- 0 .592 .592   46 ① 21/ 2 150 ④ +25
二代若乃花 396-237-20 .626 .606   60 25/ 1 123 -11
三重 640-502-26 .560 .548   97 31/ 5 130 - 6
千代富士  420-325-22 .564 .548   66 26/ 1 118 -21
隆の里  598-451- 5 .570 .567   91 30/ 9 154 +12
双羽黒 274-151-11 .645 .628   45 22/11 151 + 9
北勝海 341-210- 0 .619 .619   50 23/11 141 - 4
大乃国 405-240- 2 .628 .626   58 24/11 203 ② +57
旭富士  502-294-11 .631 .622   58 30/ 0 143 - 6
222-110-15 .669 .640   ④ 30 23/ 8 212 ③ +55
貴乃花 365-163- 0 ⑥.691 ⑤.691   41 ④ 22/ 3 147 -10
三代若乃花  512-248-67 .674 .619   62 27/ 4 131 -24
武蔵丸 563-227- 0 ③.713 ③.712   59 28/ 0 223 ① +67
朝青龍 206- 82- 0 ②.715 ②.715   ②25 ⑤22/ 4 137 -20
白 鵬 288-118-21 ④.709 .674   ⑥38 ③22/ 2 155  + 5
日馬富士 542-337-12 .617 .608   70 28/ 7 133 -27
鶴 竜 519-380- 4 .577 .575   74 28/ 7 154 - 9
平 均 409-237-12 .633 .621   54 26/ 4 143 + 6
(1)   「勝率①」は通常の勝率。「勝率②」は休みを負けとしての計算。
(2)   「場所数」は入門から横綱昇進まに要した場所数。  
(3)「昇進年齢」は横綱昇進が決定した時点での年齢。
(4)「体重」は横綱昇進時の体重。「比」は昇進時の幕内平均体重との差。
(5)日本相撲協会で記録している通算戦績には下記の5力士だけ前相撲の戦績が含まれている。
  上記の数字はこれらを除外して序の口以降の戦績に統一している。
   朝潮4勝1敗  柏戸3勝3敗  栃ノ海3勝0敗  北の富士2勝1敗  旭富士2勝1敗

                                                                                                                       
27横綱の昇進前の戦績/算定数字
(鶴竜まで)
   
 合計数平均数 
勝数11032408.6 
負数6386236.5 
勝数+負数17418  
休数33512.4 
合計17753  
勝率①.633  
勝率②.621  
優勝回数702.6 
場所数146654.3 
昇進年齢703歳26.0370歳26歳3.67ヶ月
87ヶ月3.2222ヶ月
体重3870143.3 
+150+5.6 

2014年11月13日 (木)

日馬富士、必殺技(羽黒蛇)

日馬富士、必殺技(羽黒蛇)

 

二連敗の日馬富士、立合い左に上手を取りに行き、必殺の上手投げ。㔟は、一瞬で後ろ向きになり、何もできず。

テレビ観戦ではつまらない相撲だろうが、本場所で、決まるところを見ると、若乃花勝治の呼び戻しを見たような(見たことないが、見たとしたら感じたであろう)満足感。これぞ、必殺技。

 

 

本日のスポニチで、四日目の相撲に、貴乃花親方「日馬富士六連勝中の栃煌山にまさかの敗戦」

羽黒蛇は昨日の一番、不調の日馬富士、三連敗とはいえ相撲内容のよい栃煌山は互角と、仕切りを見ながら考えていた。

三日目白鵬を土俵際まで押し込んだ栃煌山。同じ立合いなら日馬富士は負けると。

 

5月場所の後、三場所30勝の栃煌山を大関に昇進させるべきと主張した。7月場所途中休場から上位にもどってきた栃煌山は大関級の実力者。力士としてのピークがこれから来るなら大関昇進の可能性あり。

私が、28勝で大関昇進を主張するのは、昇進基準が厳しすぎて、力士としてのピークが関脇では、力士にとっても、興行としても、具合が悪いから。昇進を甘くして、陥落条件を厳しくすると、弱い大関を減らすことができる。

 

例えば、琴奨菊は、5月場所の510敗で陥落、7月場所の123敗で再昇進が妥当だった。

1-5月場所、30勝の栃煌山が関脇で、22勝の琴奨菊が大関とは、実力と地位がアンバランス。

 

現代の相撲は、四つより押しなので、ばたっと落ちて決まる相撲が多い。

逸ノ城の前に、豪風が落ち、

栃ノ心の前に、松鳳山が落ちた。

勝った力士がはたいたり引いたりしたのではなく、負けた力士が落ちた。

私の周りの九州のお客さん、立合い合わなかったり、変化したりした力士に、非難の声を上げていた。落ちる相撲には失望のためいき。

 

歓声が上がったのは、十両若の里の豪快な下手投げ(玉飛鳥)

常幸龍と遠藤の四つの攻防。どちらも回しを引き付ける有利な四つになれず、相手の有利な体勢を避けようとする。遠藤が技を出す前に体力負けという印象。

豊ノ島は攻めるが照ノ富士重い腰で残す。攻め急ぐと下手投げで逆転されるから、そこで腰を落とす。照ノ富士は防戦だけでなく攻める場面も。最後は下手出し投げで豊ノ島。

 

幕下残り5番目に、照強と千代翔馬。早い動きの相撲で、千代翔馬が内掛けで勝つ。入幕したら技能賞候補。

幕下東10枚目の石浦。4日目は立合いから出足で勝ち、5日目は大柄な宝龍山を、下手出し投げにしとめる。入幕したら技能賞候補。

琴恵光は、立合い左に変わり気味で動き、輝をかく乱するも、体力負け。14敗とまだ十両で勝ち越す実力はないようだ。

 

井筒審判長、幕下最後の一番の協議結果発表で、チョンボ。行司差し違えで若乃島の勝ち、というべきところ、行司差し違えで希善龍の勝ちと言う。私は、軍配通り希善龍の勝ちと言うべきところを間違えたのかと、最初は思ったが、向う上面の審判が、「西、西」と審判長に合図を送っていた。

 

藤島親方、五日目、三段目の審判は赤房下時計係。東の花道から席に着く際に、土俵に塩をまく。この行動は先場所も見た。伝統的な所作を復活させたのか、気になります。

幕下東三枚目阿武咲(おおのしょう)の立合いの手。右手で仕切り線の左端。左手でタイミングをとり、立つ。右手がクロスしているように見える。

 

羽黒蛇@博多

2014年10月16日 (木)

横綱は東西に必要か。横綱は一人が伝統だった。現代の感覚で歴史を振り返ると間違えることがある。(羽黒蛇)

横綱は東西に必要か。横綱は一人が伝統だった。現代の感覚で歴史を振り返ると間違えることがある。(羽黒蛇)

 

横綱は東西に一人ずつ、二人いるのがよいと思ったのである。

史上初の横綱として史実が残るのは、谷風と小野川同時昇進。

江戸の相撲御所は、横綱二人が原則としていた故に、強い雷電は一人で横綱になれなかったし、初代梅ケ谷、玉錦も同様に一人で横綱に(なかなか)なれなかった。

武蔵山がふがいない成績なのに横綱になったのも、玉錦が一人横綱だから。

男女ノ川引退の後、すぐに照国と安芸ノ海が横綱に昇進したのも、もし昇進しないと、双葉山・羽黒山の立浪部屋二人が東(か西)で、西(か東)に横綱がいなくなってしまうから。(当時は東西制)

 

やっぱり横綱は東西に二人必要なんだよね。

だったら、二人に欠けたら、横綱昇進にふさわしくない成績の大関でも、横綱に昇進させ、東西に横綱二人。

でも、甘い成績で昇進した横綱は、もっと強い横綱が昇進したら、大関に戻ってもらう、という制度がよいのではないか、と考えた。

 

可愛いのだけどソロライブで客が多すぎてメンバーが見えないくらいに人気のあるアイドルが、今日は、椅子席の会場で切符も買えそう。しかし、HPを見ると大人びて、化粧も濃く、可愛くなくなってしまっている。たった1年の間に。そこで、アイドルより相撲と、図書館へ。読んだことない相撲の本を手当たり次第リクエスト。

 

相撲百話

栗島狭衣著

1940年(昭和15年)

322頁「横綱の粗製濫造時代」

趣旨は、梅常陸の時代の後、太刀山・駒ヶ嶽の時代が期待されたが、駒ヶ嶽が横綱に昇進できず。そこで、

大正46月免許の横綱「鳳」は、粗製横綱とののしられ、

大正51月免許の横綱「西ノ海」は、濫造横綱で、横砂だと誹謗された。

ここまでは、納得。初めて知る表現だが、そう言われても仕方ない成績の横綱だったという知識はあったから。その次が、初めて知る事実。要約して引用。( )は羽黒蛇補足。

 

元来横綱は相撲道の最高権威者であって、日の下開山としての存在は、いうまでもなく只一人に限られているのが常道である。この常道が自然に固守されていたのは、嘉永32月まで、六代目横綱秀の山を限りと認むべきである。

(七代目雲龍と、八代目不知火が並立して、)二人横綱という変則が襲用されていた。明治になり、鬼面山、境川、梅ケ谷、初代西ノ海、小錦も皆正式の一人横綱であった。それが成績としては不良ながら、とにもかくにも大型力士として大砲が15代横綱となる(ここまでは正式の一人横綱)

常陸山・梅ケ谷が同時昇進すると、三人横綱。常陸山は強豪、梅ケ谷はこれに次ぐ剛者であったから、(三人も横綱とはとんでもない伝統破りなるも)事実の上で得心が行くために、遂に相撲界に未曾有の三人横綱が確立される事になってしまったのである。

(しかし本来一人であるべき横綱を無理に二人にしたために、鳳、西ノ海のふがいなさにより、)今尚神聖なる横綱の体面をよこしているのは、是非もない次第である。

 

大正時代は、横綱一人が正しい伝統だった。初めて知る。

 

羽黒蛇

 

いくつかの横綱の謎は、「功績のある大関からランダムに横綱という名誉が与えられた」と解釈すれば解ける。(羽黒蛇)

いくつかの横綱の謎は、「功績のある大関からランダムに横綱という名誉が与えられた」と解釈すれば解ける。(羽黒蛇)

 

一つ前の記事で引用した和歌森太郎の著作では、

初代梅ケ谷は、5年間で一回しか負けなかったのに何故横綱になれなかったのかを分析している。

 

もし天覧相撲がなかったら、この力士ほど横綱にふさわしい大関は他にはいないという梅ケ谷は大関のまま引退した。

江戸時代の最強力士雷電は、大関のまま引退して、横綱にならなかった。優勝相当28回。

小野川の後に横綱になったのは阿武松だが、その間に強豪大関が二人。柏戸(優勝相当16回)、玉垣(優勝相当7回)。この二人より弱い大関がその後の横綱免許を与えられている。

大正から昭和にかけて、玉錦は5回優勝してもようやく横綱に昇進。つまり、4回も優勝して横綱になれなかった。

雷電・柏戸・玉垣・初代梅ケ谷(の横綱昇進できなかった大関時代)、玉錦(横綱昇進できなかった大関時代)より、はるかに悪い成績で横綱になった大関がいる。

 

何故か。

 

功績のある大関からランダムに横綱という名誉が与えられてきたのが相撲の歴史である。ランダムとは、めぐり合わせ。運があれば横綱、運がなければ横綱になれない。雷電は運がなく、不知火は運があった。初代梅ケ谷は、なかなか横綱になれなかったという運の悪さ。天覧相撲で横綱になった運の良さ(プラス)は、それまでの運の悪さ(マイナス)で帳消しの上にマイナス過多。

 

つまり、横綱とは、いい加減なもので、さほど権威がないと考えた方がよいと思えてくる。(これまで相撲の歴史について無知だった羽黒蛇が最近相撲の歴史書を読んでの実感)。

 

現代に話を飛ばす。

横綱の土俵入りは興行のために必要で、少なくとも東西に二人の横綱がいるのが望ましい。

なので、横綱の数が少ない時は、不知火のように、西ノ海のように、武蔵山のように、男女ノ川のように、鏡里のように、安易に横綱を昇進させることに反対はしない。

が、弱くなった横綱は、強くなった大関と入れ替えて、横綱の権威をまもりつつ、元横綱が大関として相撲をとる姿をファンに見せた方がよい。降格となった元横綱が大関で取り続けるか、引退するのは本人の自由。

 

羽黒蛇

初代梅ケ谷、横綱は負けたら引退、さらなる文献(羽黒蛇)

初代梅ケ谷、横綱は負けたら引退、さらなる文献(羽黒蛇)

 

和歌森太郎著作集、15相撲の歴史と民俗、106

もっと以前にいくらも(梅ケ谷が横綱免許を受ける)機会があったはずだが、議がおきなかった。五條家も吉田家もダンマリでいた。明治十年代初めの横綱境川がかなり衰えて退いたにもかかわらず、梅ケ谷のような、人柄も立派で、体軀堂々と貫録十分な大関をそのままにしていた。

107

この(天覧相撲の)大達との一番の大勝負がそれからそれへと伝えられ、相撲人気を増長させた。

その後5月の新横綱としての初本場所では、いかにも年老いた梅ケ谷が、大達と高見山に連敗し72敗。二連敗は横綱にあるまじきことと、責任を感じ翌年1月には引退した。天晴れな横綱だった。

 

古今名力士列伝

加藤進著

昭和15年、復刻版の186

大関としての全盛時代には明治141月の9日目に若島に負けただけ、あとの二点は晩年の175月(横綱昇進後の場所)で大達、高見山と二日連敗し、これがため責任感の強い梅ケ谷は「横綱は負けるものではない」という信念から引退を決意したものだと伝えられている。この事に対しては後に雷権太夫となってからも次のように云っている。

 私は横綱というものは決して負けてはならぬものだと思っていた。

 それ故に大達と高見山に敗れた時、これはもう横綱を張る資格はない、

 横綱の手前誠に申し訳ない事だと思ったから引退した。

 近頃ではその横綱が負けても負けても併記で取っている、世の中気楽になったものだ。

 

感想!これを単純に読むと、羽黒蛇の「梅ケ谷は横綱は負けたら引退とは言わなかった」説が否定されたようだが、私はそう感じない。

加藤進は、

「横綱は負けるものではない」という信念から引退を決意したものだと伝えられている。

と書いている。伝聞であり、引退した時に明確に発言したという確信が持てないからこういう書き方となった。

(梅ケ谷引退後に)雷権太夫が「横綱は負けるものではない」とは言ったのは明確。しかし、横綱梅ケ谷が引退前に「横綱は負けるものではないから、私は引退する」と言ったのではない。

 

横綱梅ケ谷が、負けたから引退すると言ったのではなく、

協会幹部の雷が、負ける横綱に対して、「私が横綱の時は負けたら引退の覚悟で相撲をとったが、今の横綱は見習って欲しい」と発言したのだと、私は加藤進の本から読みとった。

 

羽黒蛇

 

2014年9月 9日 (火)

14代横綱境川、15代横綱初代梅ケ谷(羽黒蛇)

14代横綱境川、15代横綱初代梅ケ谷(羽黒蛇)

 

一つ前の記事をツイートしたところ、読者より、「境川も天覧がなければ横綱になっていなかった」とのコメントを頂いた。

境川の成績を調べてみた。

当時は優勝制度はないので、幕内成績最優秀力士を「優勝」と称すると、

初優勝が、慶応4年春場所で、明治になる前の慶応最後の場所である。

5回目(最後)の優勝が明治4年冬場所で、この間8場所、前頭2枚目から大関に昇進している。

8場所の成績が、503敗。(休みと引分けは省略)

横綱に昇進したのは(もとい、当時は昇進という意識はなかったと推察されるので、免許を受けた、と言い換える)明治102月なので、最後の優勝から明治101月までの10場所で、4410敗。

横綱の免許を受けた後の8場所の成績が、168

 

繰り返して書くと、

503敗 横綱の気配すらないけど強かった平幕から大関に昇進したころ。

4410敗 の後突然横綱となる

168敗 横綱となってから。

 

私が、初代梅ケ谷が、「横綱は負けたら引退」とは言わなかっただろうと推察したのは、まず、大雷の文章を読んで、この親方は現役の時に、そんなことは言う人ではないと感じたから。

それに加えて、当時の横綱(一人前の境川)は、弱くなってから横綱となり、横綱となってからさらに弱くなっている。

 

梅ケ谷は三場所横綱で引退したのは40才なので、体力的に残り少ない年齢で横綱となったのだから、「横綱になったけど、すぐ引退」の運命だったと考えるのが自然で、「横綱は負けたら引退」ではなく、「横綱にならなくても、負けたら引退」だったのだと推察する。

 

栃錦は、141敗準優勝の翌場所、初日から2連敗で引退した。

佐田の山は、二場所連続優勝の翌場所、23敗で引退した。

この二人は、「横綱は負けたら引退」を実践したと言える。

しかし、初代梅ケ谷の横綱3場所は、

721

3043

全休

2敗しかしていない。

そのうちの1敗は小結大達で、天覧相撲で大相撲の末引分け。大達は梅ケ谷横綱3場所で全て優勝相当の成績。もう1敗は前頭2枚目の高見山。

72敗とは横綱として立派な成績。また2敗した場所で引退していないので、「横綱は負けたら引退」と初代梅ケ谷が発言したというのは、捏造に思えてくる。

 

新聞記者「横綱、何故引退するのですか」

初代梅ケ谷「勝てなくなったから」という会話はあっただろう。「大達と高見山に負けたから」くらいは言ったのかもしれない。

しかし、「横綱たるもの、負けたら引退すべきだ」という趣旨の発言をしたとは思えない。

 

羽黒蛇

 

Wikipediaより「境川」部分引用。

小兵にも関わらず太鼓腹・怪力で初土俵から順調に出世していき、18674月場所の新入幕(同時に「増位山 大四郎」と改名)を経て186911月場所後に大関へ昇進、年寄境川二枚鑑札となり「境川 大四郎」と改名、翌場所には「境川 浪右衛門」を襲名した。1877には東京・麻布の島津邸で明治天皇の天覧相撲が開催される予定だったため、同年2月に五条家から横綱免許が授与されたほか、吉田司家からも故実門人へ加えられたが、西南戦争によって天覧相撲が中止された。吉田善門は西南戦争の西郷軍に対して各地を転戦した末に降伏したため、吉田司家から境川へ対する横綱免許が授与できず、18782月にようやく吉田司家からも横綱免許の授与を承認する形が取られた。

大雷、初代梅ケ谷(羽黒蛇)

大雷、初代梅ケ谷(羽黒蛇)

 

財団法人が認可された当時の相撲記事を読むために図書館に通っているが、他の記事が面白すぎて、調べようとしていることをそっちのけで読みふけってします。

 

昭和3610日発行「日本魂臨時増刊 相撲道振興号」26-28ページ

大雷 小江藤太郎

「天覧相撲の思出」

 

引用1「私は横綱は張らないつもりでしたが、伊藤博文公・この方は大層私を

贔屓にしてくださいましたが、一番も負けんもんが横綱張らんことがあるものかという訳で、とうとう張ることになったのです。

 

引用2(要約)伊藤公から「天皇陛下がお濱御殿で相撲をご覧なさるから、しっかりやるのだぞ、よいか」と言われたが、化粧廻しを作るお金が「一文もありませんよ」(中略)伊藤公が、では金は俺が出すから早速作れと云うのです。(中略)ようやく(天覧相撲に)間に合ったのでございます。

 

引用3天覧相撲の「この日私は楯山と相撲つたのでありますが、ハタキ込みで勝ちになりますと、中古の例にならって、御花弓をいただきました。

 

谷風が天覧相撲で弓取り式をやった話は有名だが、梅ケ谷もやったのだろうか。(引用3)

引用1と引用2からは、もし天覧相撲がなかったら、横綱土俵入りを明治天皇に見せることもなく、梅ケ谷は横綱に昇進できなかったのだろうと感じる。

 

「横綱を張らないつもりでした」(引用1)と大雷が言っているのは、大関梅ケ谷は相撲協会が横綱昇進を決めても、受けないつもりだったのか。

昇進する気のない梅ケ谷を伊藤博文が説得したのか。

それとも、梅ケ谷を横綱に昇進させるつもりのない相撲協会を伊藤博文が説得したのか。

 

谷風・雷電・常陸山・太刀山・双葉山が大横綱であることは子供の頃から知っていたが、私は相撲の歴史にさほど詳しくないので、初代梅ケ谷が大横綱であったことは、「第十五代横綱 梅ケ谷藤太郎詳伝 副題:史上最高の横綱 勝率九割五分一厘」を読むまで知らなかった。

http://hagurohebi6.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-77f1.html (羽黒蛇ブログに書評を書きました)

 

福岡県朝倉市のサイトによると、http://www.city.asakura.lg.jp/www/contents/1297054872638/ 

「明治17年(1884年)正月場所で9回目の優勝を全勝で飾った『梅ヶ谷』は横綱免許の二大権威『吉田司家(熊本)』と『五条家(京都)』の両家から横綱免許があたえられています。その年の3月天覧相撲が行われ初の横綱土俵入りを披露します。その日の対戦相手は前頭三枚目の『大達』、水入り二度でも勝負がつかず30分を越す大熱戦で引き分けています。この二人の死闘は庶民の話題となり、相撲は爆発的なブームになりました。明治18年、「横綱は不敗たるべし」の名言を残し引退。42歳でした。」

 

横綱に昇進したのが41歳、昇進してからの成績は、

721

3043

全休

 

大雷が、「横綱を張らないつもりでした」という発言は、

明治121月から171月までの11場所で1敗しかしておらず、こんなに勝ってもこれでも横綱になれないのであれば、横綱になることはないと諦めたのも分かる。

 

当時の相撲界で横綱に大関より高い価値はなく、横綱は土俵入りを見せるだけの価値だったかもしれない。

梅ケ谷は強いけど、横綱に昇進させても化粧まわしを用意できないから、昇進させないという相撲協会の親心があったのかもしれない。

 

もし明治17年に天覧相撲がなかったら、横綱土俵入りの必要ななく、強豪大関梅ケ谷は横綱に昇進しないまま引退。横綱より強い大関として、雷電・梅ケ谷が名を残した。

 

以上より考えると、梅ケ谷が、「横綱は不敗たるべし」の名言を残し引退したという伝説は、本人の発言ではなく、後に、横綱は崇高であるという思想の識者が捏造したような気がする。

 

梅ケ谷より大関としての成績は劣るが、強さを見せた大関が晩年ご褒美として横綱に昇進した、前田山・吉葉山・琴桜と同じように、横綱に昇進した時は衰えが始まり、横綱としての力を発揮できなかったというパターンなのだと感じる。

 

羽黒蛇

2014年7月27日 (日)

豪栄道、千秋楽に負けても、大関に昇進させるべきだった(羽黒蛇)

 

豪栄道、千秋楽に負けても、大関に昇進させるべきだった(羽黒蛇)

 

 

 

審判部の発表をテレビ中継では、「千秋楽に勝って12勝なら大関昇進、負ければ昇進させない」

 

 

 

疑問:相撲協会は、大関を昇進させる時に、勝ち星の数で決めるのか、相撲内容で決めるのか。

 

 

 

今日の相撲で豪栄道は、真っ向からの勝負で、琴奨菊に実力で勝ったので、大関に昇進させるにふさわしい相撲であり、成績だった。

 

しかし、豪栄道が立合いの変化で琴奨菊に勝って32勝のケースと、

 

豪栄道と琴奨菊が真っ向勝負で大相撲となり、琴奨菊が勝ち、豪栄道の31勝のケースと、どちらが大関にふさわしいのか。当然後者でしょう。

 

 

 

「千秋楽勝てば大関に昇進」は相撲内容を無視する表現なので、「千秋楽の相撲を見て、大関に昇進されるかを判断する」の方がよかった。しかし、

 

 

 

羽黒蛇は、30勝なら大関昇進、28勝でも相撲内容がよければ昇進させるべきと考えるので、豪栄道が千秋楽に負けて31勝でも、大関に昇進させるべきと考えていた。

 

14日目までの相撲内容で、大関に昇進させることにした」とすべきだった。

 

 

 

審判部の発表で、評価すべき点は、「関脇を14場所続けて、実力がある」ことを昇進の理由にあげていたこと。

 

羽黒蛇は、関脇を14場所続けた強い力士は、28勝で昇進させてもよいと考える。

 

 

 

もし、豪栄道が負けていたら、来場所が大関取りの場所だった。

 

その場合は、8勝・11勝・14勝しないと33勝にならないところだった。

 

それとも関脇15場所を評価して、8勝・11勝・10勝の29勝で昇進させただろうか。

 

12勝・8勝・11勝・10勝、4場所で41勝(平均10勝以上)なので、当然昇進させるべき。

 

むしろ、29勝で昇進という前例ができて、33勝という(羽黒蛇は無意味と考える)基準が崩れて、この方がよかったのかもしれない。

 

 

 

12勝・8勝・11勝・9勝、4場所で40勝(平均10勝)で昇進。昇進場所がクンロクでも強い関脇は大関昇進という画期的な前例が出来たかもしれないが、これは12勝・8勝・11勝で昇進させるべきなのに、昇進させなかったことによる。

 

 

 

羽黒蛇

 

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