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2015年8月

2015年8月13日 (木)

名寄岩物語、感想(羽黒蛇)

名寄岩物語、感想(羽黒蛇)

書名:名寄岩物語

見出し:砂つけて男を磨く相撲とり

発行日:2014927

編集・発行:名寄市北国博物館

この本を読んで始めて知った名寄岩のエピソードを中心に要約引用し感想を述べる。

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2ページ:立浪親方は、緑島の緑と、立浪の浪を合わせた緑浪、有望な弟子が現れたらつけようと考えていた。これを新弟子が断り、自ら、強そうな、名寄岩を申し出た。親方は、

「こいつは驚いた。わしのつけた名を断った弟子なぞ今までいないぞ。」「それにしても、おまえは相当な強情者だな。だが相撲取りには絶対必要なことだ。こいつは出世するぞ」

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3ページ:怒り金時の名寄岩を「怒らせて、からかおうや」と発案したのは出羽海部屋の大邱山。立合いにならない雰囲気の仕切りで、突然立ち上がって蹲踞(そんきょ)中の名寄岩の肩を押し、名寄岩は土俵下に転がり落ちる。九州山はのろのろ仕切り、立合いで猫だまし。

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4ページ:昭和81月横綱免許を授けられた直後の玉錦の土俵入り、太刀持ち双葉山、露払い旭川(立浪部屋)

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昭和131月場所9日目結びの一番は、玉錦と名寄岩(西前頭2)一つ前の相撲が双葉山と両国。両国がうっちゃるが軍配は双葉山。「双葉山の足が大きく土俵を出たため、控えの玉錦が物言いをつけた。とはいえ、両国の死体(しにたい)は明らかで、実に無茶な物言いであった。勝負検査役が協議の結果を玉錦に説明に行くと、興奮して口を尖らせなにやらまくしたてる。それから協議すること実に26分。取り直しでようやく決着がつく。取り直しの一番は、双葉山の勝利であっさりと終えた。」

玉錦への怒りがおさまらない名寄岩。「塩に分かれた玉錦が柱に向かっても、名寄岩は土俵の真ん中で蹲踞のまま睨み続けている。」「時間一杯、だが名寄岩はなかなか立たない。土俵下かた双葉山が名寄岩に立つように促し、ようやく始まった。」玉錦外掛けの勝ち。

羽黒蛇感想:勝負検査役は双葉山の勝ちと玉錦に言ったが、玉錦がごねたので取り直しになったのか? 現在の勝負判定は相撲の流れと体が生きているか死んでいるかより、先についたか・出たかを重視するので、両国の勝ちを判定されるのではないかと思う。個人的には、「両国の死体は明らか」とする昭和初期の勝負判定の基準の方が好きです。

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5ページ:135月場所は立つ気のない名寄岩の一瞬のすきをついて一方的に玉錦の勝ち。夏巡業の高知で対戦。「郷土の英雄に華を持たせるものと思っていた」玉錦は名寄岩に寄り倒され、尻餅までつかされた。

6ページ:玉錦に限らず、名寄岩のあまりにかたくなな一本気に困り果て、相撲に関して一歩も引かない態度が、力士たちの不評を買うことになった。

秋の大阪の準本場所。玉錦と名寄岩は同体取り直し。二番目、やる気不十分に見える玉錦の仕切り。手を緩めない名寄岩。上手投げで名寄岩の勝ち。12月に玉錦は死んだのでこれが最後の一番。

「宿願かなったり。本場所の一番ではないにしても、横綱玉錦に正攻法で勝った」左四つ、右上手という「自らの相撲に自信を持った」

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9ページ:新横綱羽黒山の土俵入りに際して、太刀持ちをつとめる名寄岩に、「恥だ、名寄。もう引退しろ」と名寄岩ファンからの悲痛の声が響いた。

10ページ:昭和2011月場所後に大関に復帰した名寄岩。「大関復帰は、明治の西ノ海、大正の千葉ヶ崎、昭和6年の能代潟につづく史上4人目」

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14ページ:昭和255月場所、西前頭14枚目の名寄岩。名寄岩が勝つと大歓声、負けるとため息とともに静まり返る。相手力士にとっては、「名寄岩と相撲をとっているのではなく、大観衆を相手に戦っているような錯覚に陥った」

15ページ:74敗で迎えた12日目、相手は入幕して2場所目の若ノ花。「この一番には戦後初の懸賞もかけられていた。勝ち名乗りを受けて、水引のかかった懸賞袋」「江戸の勧進相撲の頃に行われていたという手刀を切り」「堂々とした手刀を切る姿は、観衆のみならず、力士たちにも強烈な印象を与えた」

25ページ:一説によると、初めて懸賞金を受ける名寄岩が緊張して手がふるえたのが、手刀を切る姿に見えた。現在のところ最も有力な説は、昭和17年ごろから手刀が始まっている。名寄岩が手刀を広めた源であるが、いつから始まり、どう広まったかは断定できない。

24ページ:時津風理事長が、昭和417月場所から、正式に相撲規則として取り上げた。

羽黒蛇感想:名寄岩にとって戦後初の懸賞なのか、大相撲にとって戦後初の懸賞なのか。戦前は懸賞があったのか。私が知っていた通説「初めて手刀を切ったのが名寄岩で、他の力士もそれにならった」は間違いのようだ。

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15ページ:95敗の名寄岩、敢闘賞候補で千秋楽を迎えるが、備州山に敗れ、「控えの間でがっくり肩を落とした。と、そこへ師匠の立浪親方が飛んできた。『名寄、選考委員会で、おまえの敢闘賞が通ったぞ』と話した親方の目には涙があふれていた。」「一説によれば、この一番を解説していた天竜三郎の『敗れたとはいえ、名寄岩をおいて、敢闘賞をだれにやるのか』との発言が物をいい、敢闘賞が決定されたという話である。」

羽黒蛇感想:現在の三賞は千秋楽の幕内取組前に決まるが、当時は取組後に決めていたのだどうか。天竜が選考委員ではなく、天竜のラジオ放送を聞いた選考委員が名寄岩の受賞を決めた、と解釈できるが、天竜の放送は千秋楽ではなく、その前の場所中だったと想像する。そうでないと選考委員の耳には入らないから。

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17ページ:昭和289月場所8日目、日本テレビで流れたコマーシャル。「名寄岩が鳴戸海に快勝した直後、チョコレート・キャラメルの大写しが出て『森永のキャラメルを食べると、今勝った名寄岩のような力が出ます』との宣伝が流れたという(電通月報、195311月号より)

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18ページ:昭和293月場所、横綱東富士が土俵下に投げられ大怪我で途中休場。土俵外にビニールマットと筵(むしろ)がひかれた。「土俵が柔らかいことで故障者続出」「珍しく仕切り線のない土俵での相撲となるなど、とにかく問題の多い場所だった」

「相撲協会は、この礼に始まり礼に終わる名寄岩の姿が力士の鏡であるとして、特別表彰を与えることに決定した。」賞状の文面は、「貴下の敢闘は後進力士にとって好個の師表であるのみでなく、相撲史上特筆さるべきもの」

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20ページ:昭和316月、映画「涙の敢闘賞」を見た大関若ノ花は、「落ち目になる名寄岩の子供がいじめられるのがかわいそうだった。お菓子を物差しで計って切ってやるところなんか、そのままだ。映画をみて、みんなが泣いている。相撲社会がよく出ていた。」

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21ページ:双葉山の太刀持ちをつとめていた頃、10時の門限に遅れた名寄岩が、真冬に日の出まで寒さを紛らわすため四股を踏み続けた。親方は、「おまえの身体はおまえだけのものではないのだぞ」と激怒。

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22ページ:「春日山部屋にとって、もっと深刻であったのは、弟子の横取りであった、次々と集まる新弟子に各相撲部屋から」言葉巧みに、小遣いまで与えて誘い出した。「例えば、現役時代から弟子入りを約束していた義ノ花は、赤ん坊の時に名寄岩に抱かれ親と固く約束していたが、一言の相談もなく他の部屋に行ってしまった。」「そのほか入門直前で他の部屋に行ってしまった力士は数えれば切りがない」

昭和46126日幕下東筆頭の白法山が4勝目、来場所には春日山部屋に関取が誕生。この日に春日山親方は亡くなる。

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この本は、東京江戸博物館の図書館で知る。発行元の博物館に照会し買い求めた。発行の経緯として、例言に次の趣旨の記述あり。

 本書は、名寄岩生誕100年記念事業の一環として、名寄岩の生涯の事績について記述したものである。

 文献、雑誌、新聞の記述と、親族を含めた関係者の聞き取りなどを基に記述している。

 原稿は平成16年の名寄岩生誕90年展開催時に成毛哲也(名寄市北国博物館)が展示会資料を集成して執筆したものを基礎とし、今回若干の補足をした。

羽黒蛇

2015年8月12日 (水)

「なぜ、日本人は横綱になれないのか」舞の海秀平著、感想(羽黒蛇)

「なぜ、日本人は横綱になれないのか」舞の海秀平著、感想(羽黒蛇)

書名:なぜ、日本人は横綱になれないのか

著者:舞の海秀平

出版社:ワック株式会社 新書版

2015511

相撲が伝統文化として存続していけるか否かは、相撲をとったこともない素人のファンが「相撲は面白い」と感じて鑑賞してくれるかにかかっている。

相撲協会の人々が理解しているのか、私は疑問に思う。舞の海はこの本質を理解している。その部分を要約して引用する。

179ページ:

引退して解説をしてきたなかで感じたのは、ほとんど相撲を見たことがない素人の方が見ても、勝ち方に違和感があれば「何か変だな」と感じるものです。

素晴らしい勝ち方を見れば、私のように相撲を取ってきた玄人も素人も一緒に感動する。

そういう意味では、お客さんを騙すことなんてできません。

相撲界のなかにいる人や、相撲を取ってきたいわばプロの人が、「素人がこんなこと言いやがって」と上から目線で見下したりすることがありますが、それは愚の骨頂で、

素人ほど自然に感じ取れるところがあると思います。

素人の目はふし穴ではないですよ。

羽黒蛇感想:相撲協会の人たち、相撲メディアは、(玄人の)舞の海ですら、協会を離れた者が何を勝手なことを言っている、と見下しているのではないか、と想像する。いわんや、素人をや。

189ページから:佐田の山親方の改革は周りの反対でつぶされた

191ページ:境川理事長が年寄名跡の協会管理を提案したが、みんなに反対されて全面撤回した件について、

西村氏(床山):理事長は業界外のいろいろな人の意見を聞いて勉強し、相撲界は遅れている、一般社会に通用するオープンな社会にならないといけない、と考えて改革を進めようとしたんです。

舞の海:理事長は改革案をたたき台にして話し合いたかったのです。それにしても、相撲記者の人たちの報道の仕方に失望したようですんね。

羽黒蛇感想:境川理事長の案は1996年に提案され全面撤回。その内容とほぼ同じ案が2014年相撲協会が公益法人に移行する際に採用された。舞の海の「相撲記者に報道に失望した境川理事長」に注目。

私が読んだ昭和32年の国会討議に対する相撲雑誌によると、当時の相撲記者と評論家は「公益法人として相撲協会は何をすべきか、何ができていないか」を理解していた。

しかし約40年後の平成8年(1996年)は「相撲記者が劣化していたと、境川理事長が感じていた」ことを、舞の海が回想している。

88ページ:宮城野親方が、白鵬がどの部屋に出稽古に行くのかを知らなかったという逸話

16ページ:編集協力/荒井敏由紀、と書いてあるからこちらが実質的な著者と理解した。

タイトル;モンゴルはハングリー精神あり、日本人力士はハングリー精神がない、というが舞の海の論調。これもあるが、素質のある日本人アスリートが相撲に入らないのが、日本人横綱が出ない理由だと思う。ライオンズの「おかわり」中村や、他のスポーツで活躍しているトップアスリートが力士になれば、モンゴル力士に対抗できるのではないか。

羽黒蛇

2015年8月 8日 (土)

私の白鵬観3白鵬親方への期待

私の白鵬観 白鵬親方への期待


46 「この法人は、相撲道を師資相伝するため、相撲部屋を運営する者及び他の者のうち、この法人が認める者に、人材育成業務を委託する。」

親方でない「他の者」白鵬が「法人が認める者」として弟子を育成。前例はないが定款上は可能。委託の条件として年寄名跡を襲名した者とは書かれていない。外国国籍の白鵬を顧問に任命し、弟子の育成を委託することを相撲協会に提案したい。

昨年末の力士会で会長の白鵬が千代鳳と琴勇輝が立合い前の「ハッ!」「ホウッ」について「犬じゃないんだから吠えるな!やめろ」と叱責した。白鵬親方には、相撲協会全体をリードする発言を期待する。相撲の歴史を勉強している白鵬。大相撲史上一番の技能力士の白鵬。どんなに三賞の基準を厳しくしても、技能賞を選ばざるをえない弟子を育成してくれることを楽しみにしている。
公益法人の定款第三条「相撲道の伝統と秩序を維し継承発展させる」親方としてうってつけなのが白鵬、疑問なのが現理事長。

雄たけびを注意できなかった親方たち。師匠、審判部、理事、理事長、誰かが白鵬の前に注意すべきだった。
小林慶彦という危険な人物を顧問にしていることは公益法人資格を失いかねない。
定款は公表されたが、細則を公表しない。

国籍で親方が決まるのを「昔から決まっている。日本の伝統でもあり、大事にしないといけない」と理事長は言う。外国人が相撲の伝統に反するのであれば、国籍でなく血筋での差別が妥当。血筋が外国人でも立派な親方になった高見山(東関)の前例あり白鵬親方を否定する根拠はない。

しかし白鵬は親方になれない。日本国籍ではないから。ルールなのだから仕方ない。相撲ファンは、年を重ねるとともに「白鵬が追放されてしまった」ことを後悔するだろう。

以上の文章は、ミニコミ誌「すもう瓦版 土俵」の発行人斎藤健治さんの依頼により書きました。同誌には本名で投稿。

このテーマは羽黒蛇ブログで何度か取り上げましたが、ブログは字数制限なしでだらだらと書くのに対して、字数制限ある原稿故、オリジナリティが高まったと自己評価しております。羽黒蛇

 

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